dot. すべての点は輝石になる

宇宙・魂・光。表現者が好きな事を好きなだけ×ブログ♪

*「おかあさん」がたくさんいて。*

 

 

昨夜は

大好きなお姉さん的お友だちと 

面白いメッセージのやり取りを

楽しみました~。

 

 

ありがとう~。

 

 

 

 

お姉さん、おにいちゃん

 

 

おかあさん。

 

 

そんな存在が

人生には 何人もいてくださって

 

特に

 

 「おかあさん」(実際に おかあさん、と呼ぶ人)が

 

わたしの人生に

すごく 多いな(笑)と

 

さっき改めて

気づきました。

 

 

 

そもそも

実母に育てられていない(仲良しです)

 

ある意味

特殊な環境で

 

祖母が 母でした。

 

 

祖母の家にいた

叔母も 母でした。(笑)

 

 

この時点ですでに

おかあさんの存在が 3人いました。(超 贅沢!)

 

 

 

離婚をして

もう20年ですが(笑)

 

その時に

 

 おかあさん。

 

呼ばせてもらった お姑さんとは

 

今でも仲が良くて

おかあさん、大好きでして(笑)

 

いまでも

おかあさん。

 

 

 

おとうさんとは

縁が薄いのか(←みそっぽいw)

 

おにいちゃん、とも

それほど縁が薄いのか(←書いていて気づきましたw)

 

 

特に

 

 おとうさん

 

呼ぶ存在は

 

お舅さんは

そう呼びましたが

 

人見知り、話嫌いの方が多く(内面は優しいので すごく良くしてもらいました)

 

 おとうさーん

 

気軽に呼ぶ関係の人は

誰もいませんでした。

 

 

 

 

先日書いた

なじみのお店の ママさんも

 

年代的には

 

姉や母の様な

存在でした。

 

 

 

 

いま 住んでいる場所にも

 

 おかあさん

 

がいます。

 

 

 

実際に

 

 おかあさん

 

呼ばせてもらっています。

 

 

うちの子どもは

 

 おかあさんと じっちゃん(その旦那さん)

 

と 呼んで

なんでも 報告しに行きます。

 

 

 

まるで 孫のように。

近所の子どもたちを

 

可愛がってくださいます。

 

 

 

 

最初は

うちの子どもが 遊ぼう、遊ぼうと言いに行くので

 

ご迷惑かと

その都度

お詫びに伺ったんですが

 

なんというか

その 迷惑じゃないか。という心配りは

当然 あるし

なくさないものだと 思いつつ

 

 

それ以上に 

相手の反応や 日々の会話から

 

 こちらが 何度も

 

 お詫びをするのは 

 

 相手を信頼していないという 傲慢さだったかもしれない。

 

 

 そんな器の方々じゃないんだ。

 

 

 すごく 心が広くて 大きな方々なんだ。

 

 

気づいた時がありました。

 

 

 

そこからは

 

ご近所家族のように

仲良くさせてもらっています。

 

 

わたしも

じぶんの出来ることで

色々 お手伝いしたり、と

するようになりました。

 

 

小さな、些細な事です。

 

 

 

だけど

言葉にできない

そういうものを

見つめ続けていくのが

 

好きなのだと 思います。

 

 

 

 

今日 思い出したのは

 

ある飲食店のマスターでした。

 

(そこから おかあさん的存在の話が 浮かびました)

 

 

この人とは

もう20年ほど前に

別のお店で 知り合いました。

 

年は わたしより

5つほど上かと思います。

 

 

若い頃の

ひどい状態(笑)や

 

上の子どもの成長など

 

長く 大きなこころで

見守ってくれている 存在です。

 

 

マスターなので

男性で お兄さん。のような存在かと

考えてみても

 

このマスターも

なぜか おかあさん。のように

感じています。(笑)

 

 

 

もう10年ほど前かと

思うのですが

 

当時、寝たきり寸前の状態で

ふらふらになり 

 

すぐ近所だった

この人のお店に行き

 

 お昼ご飯が 食べたい。

 

言いました。

 

 

 

お店は

昼の営業時間が 終わる前で

 

このお店のメニューは

関係なく

 

 そっかー。

 

 じゃ 何が食べたい?

 

ニコニコと

聴いてくれたのが 印象的でした。

 

 

 

なんとこたえたか

忘れましたが(おいww)

 

 

 よーし!

 

 ちょっと待っててや~

 

 

出てきたのは

 

温かいおにぎりと

お味噌汁と だし巻きでした。

 (お店のメニューには ないものも出してくれました。)

 

 

すでに

日常生活が 困難になってきていて

料理ができなくなった わたしでした。

 

 

見た目もなにも

 

酷い姿だったと

思います。

 

 

 

 

 

あの日の美味しさと

温かさは

忘れられないものです。

 

 

 

 おかあさんみたいだ。

 

思ったのは

その時だったのかもしれません。(笑)

 

 

 

 

最近、

上の子どもが マスターに会いたい、というので

 

昨年の夏頃、一緒に

このお店に行きました。

 

 

 

マスターは

上の子どもが 赤ちゃんの頃から

知っていて

親のわたしよりも 

子どもに 色々聞いていました(笑)

 

 

もうすぐ お店は

創業20周年だと

いう話を していました。

 

おかげさまで。

 

おかげさまで。

 

ニコニコ話している姿は

 

 観音様になっちゃったな!

 

思ったものです。(笑)

 

 

※ただし 若かりし頃は

 怒られることもよくあったので

 その時は お不動さんのようになっていました。

 

 近年はもう 怒られることもないです(笑)

 

 

 やっぱり「おかあさん」だよな、と思いますw

 

 

 

 

 

 

 

 

人は人生で

出会う人を 

生まれる前に 決めてくる。という説があります。

 

わたしは

この説(魂の設定、コントラクト)が好きです。

 

 

 

ここにも

やや 疑問的な要素があります。

 

 

 

すべての次元(時系列も含め)

いまここに 

同時に存在している。

 

というのならば

 

生まれる前の

設定している 次元も

 

今、存在する(もしくは 今創造できる)と

思うんです。

 

 

 

だから

あまりに 偏って

 

設定だから。に

こだわる必要はない。と 捉えています。

 

 

いくらでも

書き換えられるのかもしれない。と。

 

 

 

 

この出会いに関しての

設定の書き換え。とかは

いまだ よくわからないけど

 

じぶんの状態(周波数)で

人生で関わってきた人の

過去の出来事も

なにか 違うのかもしれない。とは

思うようになりました。

 

 

父が

わたしを これまでの過去と

まったく逆の人間だったように話したり

 

叔母も(おかあさん的な)

そういえば

 

以前は

 

 あなたは いつもおしゃべりで うるさかった。

 

言っていたのに

 

先日は

 

 あなたは ひとりでお利口に 遊んでいたよ。

 

 ほとんど 話さなかった。

 

これまでも そう言ってたでしょ?

という当然のような感じで

話していたので

 

 

 え?

 

 (あれだけ おしゃべりだと 言ってたのに?)

 

 

思ったんです(笑)

 

 

 

これについては

 

たぶん。ですが

人間は多面体なので

 

過去の出来事は

変わらない。のだけど

 

その人たち(たとえば父や叔母)が

当時の出来事に合わせていた 周波数が

変わって

 

別の場面を

引き出しているのかもしれません。

 

 

 

答えはないけど

時々こういうことを

ぼーっと考えたくなります。

 

 

 

 

ぼーっと

リラックスしている時、

 

ハイヤーというか

宇宙と繋がっているそうです。

 

 

いつも

ぼーっとしているので

 

わたしは いつも繋がっているのか・・。

 

思いたいですが

 

わたしには

まだその感覚は

さっぱりわからないままです。(笑)

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 3日の明け方。自宅からの景色 三日月が美しい夜明けでした。

 

  今日は部分日食と新月ですね。

 

 

 

 

今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。