dot. すべての点は輝石になる

宇宙・魂・光。表現者が好きな事を好きなだけ×ブログ♪

*当たり前、と思うところにある神の存在*

 

 

 

実は

以前「当たり前を与えてこなかったこと」という記事を

 

書いた記憶があり

いま リンクを貼ろうと思ったら

それは 下書きのまんま保存していました。

 

 

見えない世界、

魂の世界、そういう観点から

 

物事を観察してみるときがあり

 

それをやっていると

どうにも わたし、と思う人の人生には

 

 当たり前を 与えることを選んでこなかった。

 

というのが

浮かび上がりました。

 

 

以前 下書きにしたことには

そういうことが 書いてありました。

 

たとえば。

生まれてすぐに 両親の手を離れて

祖母に育てられたこと。

 

 

一般的に、普通に

当たり前に考えようとすると

 

両親には何か

子どもを育てられない事情があったかのように

思えますが

一切それはなく

ただ 共働きで忙しかったことと

祖母が 強くて(母も強いです)

 

 私が育てるから

 

わたしを 奪い取るように育てた(と両親からの観点の話w)と

いう言葉が残っているだけです。

 

 

共働きでも なんでも

両親は他の兄弟は育てています。

 

なんだか

説明はできないのだけども

いつも 当たり前のことを選んでいない人生。でした。(笑)

 

 

それが

先天的(生まれる前の設定)なのか

 

後天的(生まれた後に 経験していく観点で得たもの)なのか

 

どちらとも言い切れません。

 

わかりませんw

 

 

 

だけども

すべて 当たり前のことなどない

 

例えば 今元気でも

明日 あと数分後

急に死んでもなんら 不思議はない。と思うようには

至りました。

 

病気をしたりの経験もあります。

 

こうして元気な事も

当たり前じゃない。

 

子どもと暮らすことも 暮らさないことも

何一つ

この世に当たり前などない。

 

↑こうして

 

以前の記事には

当たり前じゃないことばかり。というようなことを

書いた記憶があります。

 

下書きのままなので

改めて 書いてみました。

 

 

 

こうしてみると

自己価値が低かったのもありますが

なんとも 厳しい考え方に 聴こえます。(笑)

 

わたしはなぜ

このような 厳しさを与え続けてきたのか

よくわからないでいました。

 

 

 

それが先日。

ふっと。

 

ある方に言われた言葉で

反転(コインを裏返すように)しました。

 

 

その方は

わたしに

 

 主婦さんなので

 ご主人の収入で のんびりされているのですか?

 

 羨ましいです

 

仰いました。

 

 

こういうことは

よくあるのですが

その時に 嘘は言いません。(笑)

 

 

その時のわたしの返答は

 

社会的(世間的)に

便宜上、夫と話しますが

事実婚の様なもので 

さらには 夫からは生活費はいただいていないんです。

 

だから

今のご質問で言えば

 

 なにひとつ そうじゃない。

んですが

 

そう見えるように あえて

しているんです。

 

というような

返事をしました。

 

 

ちょっとややこしいですが

でも そうです。

 

 

誰の目から見ても

そう見えることを

実はそうじゃないけど やっている。

 

みたいなことを

言いました。

 

それには

リスクもあるようですが

とってもいいこと、が たくさんあるからです。

 

その方がいいこと。でもあります。

 

たとえば

我が家には 子どもがいるので

あまり 複雑な感じではない方が

生きやすいのです。(笑)

 

 

 

社会的知識も

経験もあります。(いい年齢なのに何やってるんだ、とエゴは言いますが

 何をやってるんだ、と言われないように と頑張った自分もいたりしますw)

 

一番考慮するのは

子どものしあわせ、安全です。

 

 

ですので

夫が ありえなほどに 子どもを溺愛してくれている

 

ことが

何よりも また奇跡で

 

これもまた

当たり前じゃないことを

この人たちは

とても自然とやってくれるのです。

 

 

 

いろんな人に出会ってきました。

 

上の子どもの就学前に

ようやく 離婚で来てからは

この子も 色んな方に愛されて 育ちました。

 

それで

子どもを 愛さない父親も知っています。

 

愛することが当然ではないのです。

 

 

そういうなんというか

嫌な父親 ダメな夫を

離婚した夫は 演じてくれた、と言えばいいのでしょうか。

 

いわば 我が子を愛することなく

自分の欲に走りまくりw

 

だけど 社会的に離婚はマズイ、と拒否し続けました。

 

そのおかげで

わたしは 何の罪悪感も持つこともせず(夫に対して、です)

子どもに

申し訳ないばかりで

 

子どもを可愛がってくれる人を

すぐ 発見して

一緒に育ててもらってきました。

 

 

離婚してすぐに

とても 子どもを可愛がってくれる人といたのもあり

さらには

そこから 私自身が急に動けなくなるような 病気になり

 

まぁ とんでも人生です(笑)

 

 

 

 

上の子どもは

一切家系や 血統を持たない人も

 

 家族のように大好きな人 大切な人

 

じいちゃん、ばあちゃん

お父さん、兄ちゃん、姉ちゃん がたくさんいます。

 

※お父さんと呼んでいるのは

わたしの知らない人もいます。

そういう意味(わたしの恋愛関係)だけではないですww

 

 

なんというか

みえない絆、というのか

 

そういうのを 育てられないのか。

 

そうやって

人は繋がれないのか、みたいなことを

 

人生通してやってきたんだな。

 

数日前に 気が付きました。

 

 

 

 

表面の

カタチに気を取られずに。

 

取られすぎずに。

 

みたいなことを。

 

 

 

 

 

今、ご近所や

子どもの同級生や ご指導の方

関わる方々は

 

実はすべて

我が家の関係を ご存じです。

 

何も隠す必要もないので

聞かれれば 答えます。

 

 

しかしながら

隠さない必要もない。ので

隠す時もあります。

 

それは

子どもの同級生はまだ 幼いので

そのあたりは 濁す程度にします。

 

 

シンプルに言えば

嫌いな人はいない。のです。

 

嫌いな人とは

暮らせない。のです。

 

仲良く楽しく

暮らせることを 第一にしたい。と

いうのを

ずっとやっていました。

 

 

 

 

離婚した夫との日々は

喧嘩ばかりでした。

 

すぐに 子どもに良くない、と気づき

やめたのですが

そうすると 夫はさらに自由奔放に

やりまくっていました。わたしも、ですがww

 

 

わたしたちは

仮面夫婦、というのを 実感しつつ数年やり続けました。

 

 

仮面をかぶり切れない性格だということと

両親に言われた 努力の期限が

5年だったので

離婚したい。と言い出してから 6年で離婚しました。

 

 

 

6年の間に

自立のために 職も遊びも 頑張りすぎて

その後は 病気です。

 

職もお金もなくなりました。(笑)

 

 

何をしているのか

わからない 人生でした。

 

非力さしか

感じない中、

子どもの逞しさを 感じました。

 

 

 

そんな環境の中

子どもは 自力で育ってくれました。

 

 

上は男の子なので

繊細ですが

純粋で優しく

とても 逞しいです。

 

 

今いる子は

女の子なので 逞しいより 強いです。

 

逞しさと強さの表現の異なりのように

わたしの中では

この子たちの持つ 

資質(輝き)は

全然違います。

 

 

 

 

 

その時、その時は

そこに

必死で 夢中で

 

そういうことを客観視できないのですが

 

いま 上の子は

相当 厳しくしてしまったことも

関係あるのかないのか

 

逞しくなり

どこでも ひとりで生きていけるほど

人と繋がっていける人間

に成長しました。

 

 

 

 

わたしは

じぶんを 毒親だと思っています。

毒親の言葉が出た時に、自覚w)

 

なので

それを 受け容れ

自覚して

 

子どもの人生に

必要以上には

立ち入らないように。と

心掛けだけしています。

 

 

 

 

子どもたちには

到底 かなう日は来ません。

 

そもそも

かなうなど

遠い夢です。(笑)

 

 

 

この子たちは

わたしが どんな風であろうとも

 

さらりと

 

 だけどお母さんは

 わたしを 大好きでしょ

 

 知っているよ

 

言い切るのです。(笑)すごいですね。

 

 

 

上の子どもに

関しては

もう マザコンにしてしまったんじゃないか。

思うほど 

 

 おかんは 俺を愛しすぎているから。

 

いつも 言われます。

 

怖いです(笑)

 

 

 

 

そこまで 愛してないよ。

むしろ きr・・・と

言うのですが

 

 もういいよ。

 愛されてるのは わかりすぎているから。

 

言い切って

電話まで切ってしまうのです。

 

 

これまた

ここだけを 聴けば

 

 相当可愛がって

 相当大事に育てられたのでしょう

 

と言われるのですが。

 

全然 逆なのです。

 

 

わたしは

じぶんの思うことを

好き放題にやって

勝手に 病気になって 苦しいと嘆いただけ。なんです。

 

ほぼ 寝たきりの日々も

数年あり

ここにも 書いたかもしれないのですが

 

子どもに対して

必要な手がかけられたかどうか?と

自問自答すると

 

 かけてない。

 

即答できるほど

何もしてこなかったのです。

 

(入院したり寝てただけ、です。)

 

 

 

 

 

 

我が家の夫は

実の母を よく知らない、と言います。

 

その夫が

 

 お前は母親なんだから

 それだけでいいんだ。

 

と言います。

 

 できること

 やってあげたいことは

 してやればいい。

 

 子どもがさせてくれている。

 

 大人は実は

 してもらっているし

 させてもらっているんだよ。

 

言います。

 

 

 

夫は

下の子どもに

 

 遊んでくれている

 

 遊んでもらっている

 

のだそうです。

 

毎晩

子どもの寝顔に対して

感謝を伝えてくれています。

(このスイートタイムが長いので わたしは好きな事をしてます。(笑))

 

 

スイートタイム(夫が子どもの寝顔に感謝を伝える時間)の

最後になると

いつも 少し悲しくなるようです。

 

 もう少しで

 子どもは俺を嫌いだ、と 言うんだろうな。

 

とか

 

 もう少しで

 あっち行って!

 

言い出すんだろうな。

 

とかw

 

 

それで

その時が来たら 考えたらいいこと。

 

今からそんなことで

落ち込まなくていいんじゃないか。と言うと

 

 いきなりくると

 ショックがすごいから 練習しているんだ。

 

とのことです。(笑)

 

 

 

 

 

人は

本当に誰もが 神様の光を持っています。

 

人は

誰もが 神の子です。

(神の子、というか 神なのでしょう)

 

 

神は愛であり

光であり

目には見えません。

 

 

 

 

わたしは

誰かを愛する、ことも

 

当たり前にはできません。

 

愛することは

人には出来ないんじゃないか。と

思う日もあります。

 

 

だけども

ただ

存在であるだけでいい。とは

こういうことかもしれない。と

 

日々の奇跡に思うのです。

 

 

当たり前じゃないことを

当たり前にしてきたこと。

 

空気を吸えることや

当たり前に お米を食べている日常も。

 

当たり前に

できたこと。

 

 

 

それは

紛れもなく

 

神と人の

愛の調和がなせること

 

だと

思ったりします。

 

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。