dot. すべての点は輝石になる

宇宙・魂・光。表現者が好きな事を好きなだけ×ブログ♪

*置かれた場所で 咲こうとして咲けなかった話*

 

 

 

週末は

外にお出かけできたことが多く

嬉しく思います。

 

 

 

まだ少し早いですが

今年1年の中で

去年1年を 振り返ることが何度もあって

 

そこで気づいていたことを

遺そうと 思います。

 

 

ややこしいですが

いま、

去年の話を 振り返って 気づいたことを書きます(笑)

 

 

 

一昨年の年末(12月)に

社会復帰を 決めました。

 

 

 

そんなに すぐに

仕事が見つかるわけでもなく。。と思っていたら

 

仕事を選ばない。という信念のもとで

すぐに 仕事は見つかりました。

 

 

ごみを再利用する職場でした。

 

なので

衛生的にも

人によっては

抵抗が出るところもあります。

(わたしは案外、ここは平気でした)

 

 

 体力的にもきつくて

人が入ってはすぐに 辞めていく職場でした。

 

同時期に入った人が

3人いたけど 全部 即日やめちゃいました。

 

 

 

汚いこと(衛生的に)は

我慢できたのですが

 

 

 

ここで

ある日、足に電化製品を落としてしまって

親指の爪が割れる怪我をしました。

 

 

この時までにも

 

 もう無理。

 

 もう行きたくない。

 

散々、言いながらも

 

お金のため、生活の為、と

熱を出してでも 出勤していました。

 

 

 

 

 

でもある日

どうしても 熱が下がり切れずに

 

 休みます。

 

という

電話をするときに

 

 

 辞めます。

 

言ってしまいました。

 

 

 

 

言いたかったんです。

 

 

もうやめます。と。(笑)

 

 

 

いろんな想いがありました。

 

ぜんぶ、エゴでも。

 

 

 

 

 

ぎりぎりこれで

年末年始を越せるだろう、という給料を稼ぐまで我慢して(笑)

 

それでも行けるところまで行こう、と

無理をしていたら

熱が下がらず 運転ができないだろう、と判断して

 

 辞めます。

 

言ってしまいました。

 

 

 

年齢、家の事情、

色んなことで

資格もない 大した職歴もない

 

しかも病気で長年のブランク。

 

 

 

次の仕事も

決まるかどうか わかりませんでしたし

 

仕事があるほうが

奇跡的な状況でした。

 

 

 

 

 

次の仕事が決まったのは

1か月後の 2月でした。

 

 

 

 

これまた

おかしなことが 続きました。

 

 

 

 

ここは 派遣登録してすぐ 決まった

派遣先でした。

 

 

派遣先の初日。

 

派遣会社の担当者が

大幅に遅刻してきました。

 

 

 え。ありえない・・(担当者さんの態度も びっくりな感じでしたw)

 

思った。

 

 

思ったので

 

ここで

 

 ここじゃない。

 

気づけばよかったです。

 

 

 

 ここじゃないから!

 

 

ってサインに。(笑)

 

 

 

 

 

 

まったく

スピリチュアル的なことも知らない時期です。

 

 

生活費を稼がないといけない。

 

働かないといけない。

 

~しなくちゃいけない。

 

 

わたしが しなくちゃ、に

捉われている時期でした。

 

 

 

 

 派遣会社の 担当者さんは

とてもいい感じの人でした。

 

でも 初日には

大幅に遅刻(笑)

 

 

なんとか 派遣先へ

紹介をしてくれた後、

 

派遣先の

担当者が わたしに

仕事を教える時間がないので

 

派遣の募集部署ではない 仕事をしてください。

 

言われました。

 

 

 

 

1週間、募集内容ではない仕事を続けました。

 

合間に

少しだけ、本来の募集要項であった

事務の仕事を 教わりました。

 

 

その翌日から

担当者が 欠勤しました。

 

 

派遣先の社長から

担当者の仕事を やってほしい。と

言われました。

 

 

 まったく 教わってない状態です。

 

答えました。

 

 

 

その後、

 

 事務として使えない。

 

社長と もう一人の事務員さんに

直接、言い渡されました。

 

 

 

 

使えない、というか・・・

教わってないんですけど。。。ですが

 

確かに、少しの間に教えてもらった事しか

理解できず

 

それが 何の作業かもわからずw

 

 

 

 

通常は 数日間、1日の流れを教えてから

業務を 教えていく。。という教え方に慣れてきたのが

いけなかったのかもしれません。

 

 

広すぎる倉庫で

事務作業ではない 作業ばっかり教えてもらい(笑)

 

この場所は

ぜんぶ 違う階や 部署で

 

事務の

1日の流れは

まったく わかりませんでした。

(作業部署も 数か所をやったので、1つの流れをつかめませんでした)

 

 

こんな感じで

 

流れも 何も

わからなかったので

わたしの 能力不足です。

 

 

 

担当者が 欠勤、

派遣先の担当さんに 連絡して相談しました。

 

 

 

この日、

そういえば 心が折れてしまって

 

この後

子どもの体調不良を理由に 早退しました。

 

 

帰りの車で

情けなくて 涙が出てきました。

 

 

 なんでこんなことやってるんだろう。

 

 

これが本音です。

 

 

だけど

それでも、働かなくちゃいけなかったんです。

 

 

 

 

あまりに心が折れたので

 

事務としては

使えないな、と言われたので

派遣会社の担当者さんに相談しました。

 

 

 

 そんなの話がおかしいです。

 

 会社の社長に 問い合わせますので お待ちください。

 

 

 わたしが きちんとお話しますから 待っていてください!

 

 

言われてから

 

連絡が途絶えまして

 

 

 

 

 わたしは ダメなんだな

 

 ここでは 働けないんだな。

 

 

ようやく、

わかりました。

 

 

 

 

 

その後、出勤した

派遣先の担当者さんも とても良い人でした。

 

 

 

連絡をくれて

 

 もしよかったら、直雇用で 今度は事務を 教えるので来てくれませんか?

 

言ってくれたのですが・・・

 

 

 

いやいやいや。

 

それは 当時、困りました。

 

生活費のために、と働いています。

 

 

 

直雇用だと

時給だけで 数百円下がります。

 

 

思ってしまって

お断りしました。

 

 

 

 

相談した友だちも

この時は

 

 そんな会社の言い分、おかしいから 辞めなさいよ。

 

言ってくれたのも

励まされました。

 

 

 

当時から

まったく じぶんには

自信がなく 相談してよかった、と思いました。

 

 

 

 さらには モチベも消え失せ

 

仕事を覚える自信も

その時には まったくなくなっていました(笑)

 

 

 

 

 

 

2つめの 会社を辞めても

まだ

 

気づきませんでした。

 

 

それでまたパートで

再就職しました。

 

 

 

このあたりでもう

完全に 心も感覚も

無意識的に マヒさせています。

 

 

そうでもしないと

働けない、と思ってました。

 

 

 

 

 

3つめの 会社でも

同じように

仕事を教えてもらうときに トラブルがあったり

 

おかしいだろ。(笑)

思うことが 頻発しました。

 

 

 

 

1つめの会社の怪我が

ひどくなって

歩くの辛いな~と 思ってたんですが

 

働かなくては。と

行き続けました。

 

 

無理しているせいか

宇宙のお知らせなのか

 

肺炎でもないのに

肺炎のような症状だね。と言われるようになって

 

病院にかかって

通院点滴をしながら、通勤しました。

 

 

 

 

この病院は

入院設備がなかったのですが

 

先生が 検査で

異常なほどの数値が出てるので

欠勤してください。と言って

書類を書いてくれたので、2日だけ 休みました。

 

 

 

2日後から

仕事に行き、次の週に もう一度

 

 肺炎みたいな感じになってます。

 

という

診断を受けました。

 

 

※熱が高いので

通院を続けていました。

 

 

 

 ある日、

久しぶりに 友達に写メを送る流れになって

(自撮りの髪型か服を見せてほしい!と 言われたのだと記憶してます)

 

自撮りなんかは しないんですが

いやいや 送りました(笑)

 

すると

その友達が

 

 おかしなくらい 痩せてる!

 

言ってくれたことで

 

はじめて

年始から 10数キロ痩せていることに

気づきました。(遅いw)

 

 

 

そこから

また それまでは一人で通院してたのが

 

肺炎を診てもらっているお医者さんに

 

 激やせを 話すような流れ

 

になって

 

そこから

大きな検査をする流れで

腫瘍が 見つかります。

 

 

 

 

 

この時期には

他にも 不調がいっぱいあって

 

整形外科、脳外科で

精密検査を終えて 異常がなく

 

身体のどこを調べても

異常がないのに

激やせしていく。という

おかしなことが 起こっていました。

 

 

 

 

 

仕事に行き

休みには 検査。検査で

ようやく 見落としていた部分の腫瘍が見つかった時には

 

先生(医者さん)も

 

 よかった!

 

言ったんです。思わず(笑)

 

腫瘍は良くないけど

原因がわかれば

やみくもな検査も治療もいらなくなるよ!

 

集中して治せるよ!という意味で

 

 よかった!

 

涙ぐんでくださいました。

 

 

 

 

 

先生は

原因不明を特定するまでは、検査を続けましょう。と

 

 僕も納得したいんです!

 

正直に言ってくれていました。

 

なので

 

ようやくたどり着いた 原因かもしれない腫瘍発見、

 

安心されたのだと思います(笑)

 

 

 

 

 お医者さんにも

わたしにとっても

 

原因不明で

どうしても 痩せる原因が見つからない状態が

あまりにも 過酷でした。

 

 

 

 

 

そして

それでも うまくいかない3つめの職場、

まだ

辞めていませんでした。

 

 

書類がある日だけ 休もう。

 

それ以外は 行かなくちゃ。

 

思い込んでいました。

 

 

 

 

この腫瘍の場所が

肺炎もどきからお世話になり続けた

内科ではなく 婦人科だったので、

内科の先生にお世話になるのは、ここまでになりました。

 

 

 

 

婦人科では

深刻な事態になっていって

 

緊急、緊急で検査や診察が

続きました。

 

 

 

 

先生は

若い頃から お世話になっていた先生で

名医でした。

 

(※ただ、この腫瘍までの10数年間は 引っ越し等もありご無沙汰状態でした)

 

 

 

ずっと 忙しくて

大流行りの病院。

 

真夜中まで 診察しているような先生で

わたしも 夜遅くや早朝に

何度も 診察に伺いました。

 

 

 

ある時に

 

今後の見通し。を

話しました。

 

 

良性にしても

大きさ的に

切除になるかもしれない。

 

切除になったら

最低 〇カ月は 仕事は無理かな~

 

いう話を聴きました。

 

 

 

先生は

どの状態の想定も

断定はしませんでした。

 

しませんでしたが

 

これまでの雰囲気とか

流れとかで

 

 やばいかもしれないんだな。

 

勝手に 思いました。

 

 

ある場所には

血液が溜まりすぎていて

それを抜くだけでも

仕事を数日休んでから・・のような話になっていました。

 

 

 

 

 

それで、

ある日

 

ずーっと辞めたかった仕事を

 

 もう、やめよう。

 

思ったんです。

 

 

 

 

どうせ入院。

 

どうせ その先だって

わからない。

 

 

 

 

どうなったっていいけど

心残りがあるとすれば

無理して 我慢して

この仕事をしてることだから 辞めて 休もう!って。(笑)

 

 

それで

引き留めてくださったんですが

心を固めて 退職しました。

 

 

 

 

 

すっきりしました~。

 

 

その後

検査に行くと

 

 え。考えられないけど 切除もしなくていけるかも!

 

いう結果になり

内視鏡手術(10分程度で終了)し

 

溜まっていた

血液は勝手に 吸収されたようで

消えていました。

 

 

不思議でした。

 

 

 

なのに!

 

この後また

元気になったので、

 

就活して

再就職したんです。

 

 

本当にバカなんだと思います(笑)

 

 

 

 

だけど

すごく いい方向に考えようとして

出したポジティブな答えは

 

 生活のために 必死だった。

 

です。

 

 

じぶんのために、は

なくなっても。

 

 

生活の為に、と

必死で 生きたのだと 思いたいです。

 

 

 

 

 

働かないと

 

生活していかないと。

 

病気じゃなかったんだから

働かないと。

 

と。

 

思い込んでいました。

 

 

 

 

 

この時期に

面接の段階から

おかしなことが 数件ありました。

 

大きな会社の面接担当が 約束の日にいない。だとか

連絡がこない、なんて ザラでした。

 

 

だから

行くべきじゃなかったんだってば!(笑)

 

ですが

その当時は

また 気づきません。

 

 

 

 

 

 

それで ある大手企業の求人に

運よくなぜか 受かりました。

 

 

 

新部署の設立、ということで

 

わたしの年代(30代後半から50代)を募集して

新規で採用。

 

さらに 頑張る方には正規雇用、という

素晴しい条件でした。

 

 

 

希望の勤務地ではないけど

もう一つ別の勤務地でよければ、ということで

受けさせていただいて採用になりました。

 

 

この部署が

忙しすぎて 新しい書類作成の人員を募集する、という感じでした。

 

 

 

 

 

それが(笑)

 

初日から

 

 忙しすぎて 教える時間がないので 座っていてください。

 

 とりあえず 数日 座って流れを覚えてください。

 

言われたまま・・・1週間 経ちました。

 

 

ここは

いろんな部署に 分かれていて

 

他の部署の人が忙しくても

基本的には 手伝えない。状態でした。

 

 

 

 

わたしの横にいた 女性は

違う部署でしたが

あまりにも 時間を持て余すでしょう、と言ってくれて

 

小さな仕事の手伝いを

少し分けてくれました。

 

 

 だけど

手伝いすぎると 気を悪くされていました。

 

 

この女性も

難しい立場でした。

 

じぶんたちの部署を教えるわけにもいかないし

 

かといって

ずっと隣で 手持ち無沙汰なのも

お気の毒だ、と 仰っていました。

 

 

 

 

 

 

 

昔から よくある話を

思い出しました。

 

仕事がない。与えられないなら

じぶんから できることを探して させていただく。

 

 

若い頃、

そんなことを やっていたことを

思い出して

 

掃除をすることにしました。

 

 

 

 

最初は、責任者が

 

 掃除で 来てもらってるわけじゃないから やめてほしい。

 

というので

 

それもやめました。

 

 

 

 

だけど

座っているだけ。という苦行だと思っていると

 

責任者の方も

 

 他の従業員でやるはずですが

 忙しすぎて 誰も

 掃除まで手が回らないので 

  

 申し訳ないのですが

 掃除してくれますか?

 

 

 

 お手すきならば、掃除してくれていいですよ。

 

 

 

と言われるようになりました。

 

 

これを繰り返していると

 

 掃除は あの人(わたし)に頼みましょう。

 

流れが 代わっていきました。

 

 

 

 

 

掃除してもいいですよ。もおかしい(笑)

 

そもそも

仕事を何一つ 教えてもらっていない。(笑)

 

 

 

 

 

 

ですが・・・

 

その後、

洗濯とか 掃除とか

花のお世話だとか

 

壊れているものの修理だとか(笑)

 

見つけては

何かやりました。

 

 

花のお世話もやりすぎて

責任者に 怒られました。

 

他の従業員さんや お客様には

喜んでもらえましたが

責任者が NGだったために

花は全部 処分されてしまいました。

 

 

 

こんな風に

できることを 探して

やれるだけ 一生懸命にやって

 

 させていただいて、ありがとうございます!

 

笑顔で

続けることにしました。

 

 

 

 

 

大変、人間関係がよくて

 

その前に いじめられていたことを思えば

天国のような人間関係でしたが(笑)

 

 

 

それでも

本来の書類作成の

仕事を 教えてもらえる日は

来ませんでした。

 

 

 

最初の数か月は

 

 明日は、忙しくないだろうから

 教えてもらえるかもしれない!

 

期待してました。

 

 

それが

ない、ないと

わかってからは

 

諦めてきました。

 

 

 

 

手放して 諦めればいい。とも

違うような気がします。

 

 

諦めたら

そのまま 教えてもらうこともありませんでした。

 

 

 

すべては

わたしの 心の持ち方、かもしれないですが

 

これ以降

わたしは

 

 置かれた場所で 咲きなさい。

 

素晴しい考えだけど

 

それだけでは

ダメな場合もある。

 

 

適材適所がある。

 

ということを

学びました。

 

 

 

 

 

すべては わたしの心の持ち方ですが・・

 

わたしの場合は

 

置かれた場所で咲けなかったことで

さらに

じぶんが ダメなんだを

重ねてしまっていました。

 

 

 

 

 

 

出来ることを

探していく、という中で

 

 お客様をお見送りする人に

 ついていかせてもらって、お見送りをする。

 

というのを

自分から していました。

 

 

 

 

 

これは

じぶんの担当部署だけ、最初

ヒマな時は してください。と言われたのでしたんですが・・・

 

それだけでは、と思い

 

じぶんから

すべての部署のお客様に対して

お見送りをしていくことにしました。

 

 

これが

その後・・・お見送りだけではなく

交通誘導をする 羽目になりまして

 

怪我をして動けなくなった 

 

退職までずっと

この交通誘導をしました。

 

 

 

与えられた仕事です。

 

 

与えられた仕事を

褒められるまでやる。というのを

 

やってみたら

 

これが 担当のようになってしまいました。

 

 

 

 

だけど

これが 唯一与えられた仕事だったので

 

当時は

これを 必死でやりました。

 

 

 

 

交通誘導(ガードマンさんと同じです)を

 

真夏の暑い日も

やり続けていました。

 

 

 

そのうちに

他の従業員ができるときでも

 

 交代してあげてください。

 

言われるようになりました。

 

 

誘導専属のように

なっていきました。

 

 

 

 

 

これまで

お客様を担当する従業員が

やっていましたが

 

 

次の仕事で忙しいので

 

わたしから

 

 やりましょうか。

 

と言ったのが

いけなかったのかも・・・と

 

じぶんを

責めまくりました。

 

 

 

 

 

 最終的には

書類作成を 教えてもらうこともなく

 

勇気を出して

申し出てみても・・・忙しいのですみません。と言われ

 

 

 わたしの仕事=ガードマン

 

みたいになりました(笑)

 

 

 

 

それならば、と

いつか 教えてもらえる日まで、と

諦めて

 

 

ガードマンを必死でやりました。

 

 

 

 

心の中では

 

 この仕事じゃないけど。

 

という想いはあります。

 

 

ありますが

やる、しか 選択肢を持っていませんでした。

 

 

 

 

 

ありがたいことに

お客様が 大変喜んでくださって

お店に お礼をわざわざ 伝えてくださる場合もありました。

 

 

 誘導の方が 素晴しかった。

 

言ってくれたりしました。

 

 

これが本社に伝わって

 

社長が何度か

 

 素晴しい!

 

 

 本当にいい人が来てくれた!

 

 

わざわざ 褒めにきてくださることもありました。

 

 

 

社長は何度か 事業所にやってきては

 

社員全員の前で

褒めてくださったり

 

 

社長の付き添いでいらした役員さんにも

わたしのことを

 

 素晴しい人が来てくれた!

 

 素晴しい誘導をされている!

 

 

大絶賛してくださることに・・・。

 

 

 

光栄です、と

泣きそうでした。(苦笑)

 

 

 

 

 

いや・・・いやいやいや。。。

 

 

違うんだ。(笑)

 

 

 

 交通誘導で 入ったんじゃないんだ!

 

 

 掃除しに来てるんじゃないんだ!

 

 

 それ以外は 座っててください。のままなんだよ!

 

 

です。

 

 

 

そうして

ある日、この仕事にも もう行きたくない。。。という気持ちを

無視して

出勤したら

 

出勤後

すぐに 階段から落ちて 骨折しました。

 

 

 

 

 

ここでようやく(笑)

 

 もう、やめよう。

 

 外に働きに行かずとも 生きられる。

 

気づきました。

 

 

 

ただ、

痛みが引いていき・・

動いてもいい、と許可が出たら 出勤するのか?と

 

最初の2か月は

すぐ 辞められませんでした。

 

 

 

 

でも3か月目

 

骨折部分の 詳しい検査を

MRIで 診ることになって

さらに 奥の仙骨が数本 骨折していて

安静を言い渡されて ようやく。ようやく

気づきました。

 

 

 ああ。

 

 もういいんだ。

 

 

 辞めていいんだ。

 

って。

 

 

 

 

 

ずっと

じぶんを 置き去りにしすぎていた。

 

ことに

気づいたんです。

 

 

 

 

気づくまでに

 

怪我も病気も

激やせも 腫瘍もあったのに

わからなくて

 

動けなくなってから

 

 辞めよう。

 

思うまで

1年、かかりました。(笑)

 

 

 

そこから

1年の間に

 

スピリチュアルのことを

学びました。

 

 

 

知識とか

 

内観(静観)や浄化、

色んなことを知りながら

体感したり

経験を眺めていました。

 

 

 

 

 

宇宙のメッセージ、サインのことを

思うと

 

この1年の会社で起こったことは

 

おかしなことばかりで

どう考えても サインとしか思えない。

 

ようになりました。(笑)

 

 

 

 

 

与えられた場所で

与えられたことを やっていく。

 

 

今もそれをやってます。

 

 

大事なんです。

 

 

会社で

仕事がないなら

じぶんで 探して仕事をしなさい。も

 

基本的に

 

状況によっては 

それでいいし

間違ってない。

 

 

 

 

 

 

だけど

わたしの場合は 違う。と 思った。(笑)

 

 

 

どこの職場でもまず

募集していた仕事を やりたいのに

 

なぜか 教えてもらえない状況があって

 

基本的な仕事を教えてもらっていないので

やることがなかった。

 

んです(笑)

 

 

 

 やっぱり みんな

全員が 全然違う正しさがあるんだ!

 

気づいたんです。

 

 

 

 

最初は

これをしても ダメだったわたし。

 

でした。

 

 

 

 

置かれた場所でも

咲けなかったわたし。です。

 

 

掃除もしてみた。

しかも 喜んでしていた。(笑)

 

 

 

 

いろんな雑用も

全部 楽しくもっていった。

 

 

 けど、ダメだったわたし。

 

 

です。

 

 

 

 

与えられた仕事で

お客様、上司

会社の方にも 感謝してもらえても

 

褒められ 称賛されても

 

 

 ダメだった、わたし。

 

 

です。

 

 

 

 

 

 

この1年も

怪我が少し マシになった日には

 

 働かなければ。

 

捉われました。

 

 

 

 

 

だんだん、それが

エゴなんだ、と気づいて

 

夏以降くらいからは

どんどん 気楽になってきました。

 

 

 

 

いまでもまだ

そんな 義務感には 捉われます。

 

 

 

 働かなければ、と。

 

 

 

 

それはそれでいいんですが

 

 

働こう。

 

仕事にしようと

 

思うときに

感じる 違和感は何だろうか。というのを

 

ずーっと眺めていました。

 

 

 

出てくる痛みは

どこからだろう。と

 

眺めていました。

 

 

 

 

 

 

 

また

 

 これで 辞められる。

 

 これで 休める。

 

というとき

 

 

 

必ずそれは

怪我や病気をしたとき

 

やむを得ない事情の時であることにも

 

気づいていました。

 

 

 

 

 

逆に考えてみると

 

そうでもしないと

休めないじぶん。だったんですよね。

 

 

 

 

 

本当にそうなんだろうか。

 

 

 

って

思いました。

 

 

 

 

 

 

 

社会不適合者だな~と

昔から 思っていて

克服しようと 思ってダメでした。(笑)

 

 

 

出来ないことが多いです。

 

 

出来ないことが多いので

頑張りすぎてしまいます。

 

 

 

わたしは

そうだから

もう

それでいいし

 

それで

生きていくしかない。

 

 

 

 

それはそれでOKで

 

いいんだけど・・

 

 

だれかの

何でもないことを

ひとつ やるためには

 

とんでもない努力が必要なじぶん(笑)

 

 

 

 

 

普通のことさえ

頑張りすぎているのに

 

壊れないと休めないって

異常な事態じゃないか?

 

って

気づいたんです。

 

 

 

 

 

 

誰も気づかないことで

当たり前のことに

 

ものすごく努力が 隠れています。

 

 

 

 

 

 

たとえば玄関のドアを出て

 

 おはようございます。

 

近所の人に

笑顔で挨拶するまでには

 

何年も努力しました。(笑)

 

 

 

 

 

やりたくないなら、やらなくていい。もやりましたが

わたしは

普通に挨拶したかったので

努力しました~。

 

家を出た時からこれで(笑)

 

 

 

 

普通に(あえて普通という言葉を言ってます)

1日を 過ごすためには

 

並大抵以上の エネルギーを消費している!

 

ということに

この1年で 気づきました(笑)

 

 

 

 

子どもの頃から

 

普通を気にしすぎて

 

努力してやれるようになって

忘れていましたが

毎日が、すごく 大変でした。(笑)

 

 

 

 

わたしが

 

普通じゃない、ことには

気づいています。

 

 

 

 

だけど

 

社会に出た時には

 

わたしが

普通じゃないことに

甘えていいよ。

 

当たり前なんだよ。じゃない。。(わたしの考えですけどw)

 

 

 

 

甘えさせてくれて当たり前じゃないけど

出来ないことも 当たり前じゃないけど

 

そんなこともあります。すみません

 

って

なりながら 生きてます。(笑)

 

 

 

 

 

 

ある時に

お子さんを小児がんで なくされた方の

記事を読みました。

 

 

 

その方のところへ

 

 命を粗末にする人(自死をさしていたそうです)が 許せませんよね!?

 

いうご意見があったそうです。

 

 

だけど

その方は

 

考えたそうです。

 

 

 自死は 命を粗末にした結果なのだろうか。

 

と。

 

 

 

 

 この方の言葉に

救われました。

そして

わたしも 大事な事に気づくことができました。

 

 

この方は

あくまで ご自身のご意見で

仰っていました。

 

 

わたしの子どもは

ガンと言う病気で

 

目にみえる痛みや苦しさに耐えて

その限界を迎えて 死があった。と。

 

 

自死の方は

 

目にみえない部分が

もう耐えられないほど 限界を超えたのかもしれない。と。

 

 

身体のように

目には見えないけれど

 

どちらが どう、ということはなく

 

どちらも

限界を超えられた。というだけ。だと。

 

 

 

どちらの命も尊い

 

どちらの死も 尊い

 

 

命を粗末にしてる人なんて いない。

 

 

だれかから

そうみえたとしても そうじゃない。

 

 

すべてが 尊い

 

 

 

そんな言葉で

書き綴られていました。

 

 

 

 

 

この言葉を

読んだときに

 

 

 ハッと

 

しました。

 

 

わたしがずっと

言いたかった言葉、

 

言っていた言葉を

 

思い出しました。

 

 

 目にみえるものも 目に視えないものも

 

 同じなんだ。

 

と。

 

 

 

 

 

わたしは 怪我をする場所も

骨が折れてもギプスができない場所ばかりでした。

 

病気になる場所も

精神的な事で

 

実際に目にみえない、伝えきれない痛みや苦しみの場所ばかりでした。

 

 

だからこそ

 

じぶんが一番大事にしたかった場所だ。と。

 

 

じぶんが

気づいてあげたら

それだけで

よかったのだと ハッとしました。

 

 

 

 

 この方の

言葉を 読んでから

 

じぶんの 働けない。とか

弱っている部分(まったく見えない部分)に意識を向けたら

 

 瀕死

 

でした。

 

 

よく、生きててくれた。

 

気づけなくてごめんね。

 

よくこれで

呼吸をしてくれたね。

 

涙ぐんでしまうほどに。

 

 

 

 

これが

目にみえる部分だったら、と

上に じぶんに

聞いてみました。

 

 

生温かい血を流し続けて

傷ついても尚

 

 べき!

 

というナイフで

刺し続けていたのは

 

わたしの

こころでした。

 

 

 

瀕死なんです。

 

 

瀕死の時

 

 掃除しなくちゃ!

 

なんて

よく 言えたな。と

思います。

 

 

 もういいから。

 

 回復まで 寝てればいいよ。

 

 

 寝よう。寝よう。

 

 ご飯なんていいから。

 

 作らなくていいから。

 

 

 

そんな場合じゃねーな!

 

でした(笑)

 

 

 

 

それは みえない部分が

ここまで 瀕死の重傷を負っているんだから

 

生きるのが

辛いはずだ。と 気づきました。

 

 

 

働くより前に

 

生きること。

 

どう生きるか。なんてものは

どうでもいいので

 

 

 どうすれば 気楽に 楽しく 生きていけるか。

 

 

です(笑)

f:id:totorise:20181203134815p:plain

 

 

 

 

去年の最後の仕事を辞めた時に

 

 時間をかけて じぶんをやり直そう

 

決めました。

 

 

 

ようやく1年がかりで

 

瀕死で頑張っていたじぶんに

気づきました。

 

 

 

 

 

ここが

瀕死だからと 甘えることができないんですけど

 

甘えなくてもどっちでもいいから

 

温かく

生まれたてのひよこの ように

見守り育もうと 思いました(笑)

 

 

 

 

 

 一生かかって

 

じぶんを大切にしていこう。

 

 

 

本来のじぶんで 生きよう。

 

 

って

決めた 1年でした。

 

 

 

 

 

 

 

そういえば。

 

十代の最後に 仕事にいっていた日曜日。

 

飼っていたインコが

急に飛び立って 部屋の壁に衝突しました。

 

 

あまりにも驚きましたが

 

激突して瀕死の重症。

 

獣医さんが

 

 インコは献血ができないので 見守るしかないです。

 

言ったので

 

保温をして

栄養をスポイトで与える看病をしました。

 

 

まさに 虫の息になってしまい

次の日は 会社がありました。

 

 

 

今では考えられませんが

どうしても 放っておけずに

 

プラケースに入れて

会社に持って行って 上司に引き出しに入れて保温したい。と

申し出ました(笑)

 

あの上司も

神様のような上司で

 

よくぞ こんな子どもの様なことを

色々と 最後まで温かく育ててくださったな、と

感謝しかありません。

 

 

あの日も

嫌な顔せず 驚いた様子で

 

 いいよ

 

あっさり承諾してくれて

 

時々

 

 インコは大丈夫か。

 

聞いてくれていました(笑)

 

 

 

保温とただ見守ること。で

 

インコは

驚異的に回復しました。

 

 

そこから元気になりすぎて

そこから10年以上 生きていたと思います。

 

 

 

 

瀕死のときに

大事なのは

 

 ただ温めて 見守ること。

 

 

 大事に大事に 無理をさせずに 見守ること。

 

 

でした。

 

 

 

いま、あのインコの様な状態の

わたしの こころ。

 

 

 

これからは

どこへも 一緒にいて

 

焦らず

大事に 育んでいこうと 思うのでした。

f:id:totorise:20181203134742j:plain

 

今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。