dot. すべての点は輝石になる

宇宙・魂・光。表現者が好きな事を好きなだけ×ブログ♪

*僕キセ 最終回を観ました*

 

 

 

レビューでも何でもないですが

僕キセの 最終回をやっと観れたので

感じたことを 書きまくります。(笑)

 

 

 

あのドラマは

最初から 胸が痛みました。

 

 

なんでしょうか。

 

もう

色んな個所に 色んなメッセージ

ポイントが

満載でした。

 

 

 

 

一生さん、大好きなので

なんとなく

観たんですが

 

毎週 はまって観てました。(笑)

 

 

面白かったです。

 

 

 

色々 思うことがありましたが

カズキが

みずもと先生に(榮倉奈々ちゃん)に

 

 みずもと先生は 面白いです!

 

という言葉が

 

共感しまくるポイントでした。

 

 

 

 

だれかに

 

 面白い

 

という言葉を使うと

 

 

過去には

 

 失礼

 

勘違いさせてしまう経験がありました。

 

 

 

面白いって

 

面白がる、とか

そういう意味でもありますが

 

笑いものにする。馬鹿にする。という意味では

決して 使わない 使っていないのが

 

カズキの言葉でした。

 

 

 

 

 

面白い。って

好き。とも 楽しい とも 

同じです。

 

遊ぶって 面白がること。

 

遊びってワクワクする。楽しい。

 

 

 

 

 面白いです。

 

って

だれかに対して言うとき

 

ポジティブな気分で

そう 言ってしまって

 

相手を 不快にされたことがあるので

 

今回の カズキの言葉が行動って

本当に 

色々 思いました。

 

 

 

 

言われた側の

 

みずもと先生も

ん?って なってたのが

 

面白かったです(笑)

 

 

 

ドラマ開始当初の

みずもと先生だったら

 

怒っていたかも、しれないですね。

 

 

 

 

 

鮫島教授の

 

 

ことあるごとに

 

穏やかな観点で

 

 

 順調だね~

 

とても よかったです。

 

 

 

 

 

大きな観点になっていくと

 

本当に 人生って

そう 思えないことでも

 

 

何事も すべて

 

 順調

 

なんですよね~。

 

 

 

 

大河原さんの事実に

衝撃を受けた方が

色々いたのも 面白かったです(笑)

 

 

戸田恵子さんも 大好きで

ブログを拝見しています。

 

 

要君も 素敵な役でした~。

 

 

潤君は

以前から

大好きです。

 

 

ちょうど 上の子どもの

仮面ライダー愛 全盛期のライダーでした。

 

そのあとは

男前すぎる オダギリジョーさん。(いまは関係ないww)

 

 

 

面白かったです。

 

 

 

 

カズキは

とっても 賢いので

 

説明するのも

上手でした。

 

 

 

わたしは

人生の おそらくとっても早い時点で

 

説明すること

諦めてしまったのだと 思いました(笑)

 

 

 めんどくさい。

 

いう言葉で。

 

 

 

 

 

8月末、だったでしょうか。

 

ある方に

 

 ものすごく 言葉を選んでいる印象です。

 

 我慢しないで 言葉を発する練習するといいですよ。

 

言われたとき

 

 

わたしの

このあたりが

指摘され、刺激されたんでしょう。(笑)

 

 

 

最初は

説明するのが めんどくさい。でした。

 

そこから

誤解されても 別にいい。

となりました。

 

 

めんどくさいんだ。と。

 

 

 

だけど

訳の分からないことで 攻撃された(ように思う)、というのは

 

ある意味

わたしも 相手には

同じことをしているんだ、と

いうことなんです。

 

そこに

気づくことができました。

 

 

 

 

もう 昔のことで

 

めんどくさいを理由にして

伝えなくなったことも

あります。

 

 

言語化するのが

難しい。のは 今でもです。

 

 

言葉に対するイメージは

人それぞれ

違うから。

 

 

 

 

こちらの

波動が良ければ

 

伝わるか。ということも

 

鮫島教授と

潤君をみていると

 

わかるような気がしました。

 

 

 

 

潤君がとても いい役だったんで

色々 わかりやすかったです。

 

 

 

 

常に

 

鮫島教授が

穏やかな波動で

 

にこやかに話す言葉に

 

苛立っていましたよね。

 

 

 

 

そして

最終回で

 

潤君は

 

じぶんの内側にあった恐れに気づきました。

 

 

 

素晴しかったです!

 

 

 

事務長も

いつも 急いでいて

怒っていましたが

 

だけど

最初とは 変わっていました。

 

 

 

わたしでは

どうにも 感想を述べきれないのですが

 

とっても いいドラマでした。

 

 

あとは 今期ドラマで

下町ロケットを 楽しんでいます。

 

 

 

ドラマも

テレビも

 

もう 何年間も観てなかったんですけど

 

必要なものは

 

そういう中でも

観るようになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんで?

 

聴かれて

 

説明できないこと。があります。

 

 

 そうだから。

 

としか

言えないようなこと。

 

 

 

だけど

子どもの頃から

 

 説明しなさい!

 

 ちゃんと わかるように 言いなさい。

 

 

言われてきた記憶があります。

 

 

 

だから

 

なんとか

伝わるように、言葉にする練習をします。

 

 

そうして

ようやく 言葉にしたのを

聴いた大人が

 

ダメだしします。(笑)

 

 

 

そうしていると

今度は

 

ダメだしされないような

説明を 考え出していきます。

 

 

ここで

もう なんで?と聞かれたときの

感覚と

 

言葉にした説明は

 

かなり 違っています。

 

 

 

そうやって

幼児期に 形成してきたものを

 

いま、

見つめ直しています。

 

 

 

 

直感や 感覚は

言葉に できません。

 

 

説明しよう、としたときに

 

もっともらしいものを

左脳が 選び出します。

 

 

 

もっともらしいもの

 

この場に 相応しいもの

 

選んだ時に

 

相手にふさわしくない場合は

また

ダメ出しをくらってしまう。

 

 

 

そんな経験を繰り返し

 

いつの間にか

相手に合わせた 説明をしていたのかも

しれません。

 

 

 

↑これは

数年前までの わたしでした。

 

 

 

 

 

いま、

下の子どもが

 

 

 なんで?

 

いう時期です。

 

 

 

この なんで?は

事実や 歴史的な事。

 

 

 ママはなんで これを知ってるの?

 

とかです。

 

 

 

 

この時に

 

 なんでと 思う?

 

聞き返してみます。

 

 

 ママには わからないから

 

 わかったら 教えてね。

 

言うと

 

子どもは ふーん。と言いながら

 

何日かして

じぶんの タイミングで

急に何か 答えを 持ってきます。

 

 

 

 

 

子どもは

純粋なので

その言葉を

聴くのが 

 

面白いです(笑)

 

 

 

 

答え合わせは

してもいいし

 

しなくてもいい。

 

 

 

 

すべて順調だね。

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今日もすべてに感謝を。

 

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*気楽に行こう*

 

 

 

少し前までは

あおりを受けて

 

 

 大丈夫なのか。

 

 でもその人が 決めたことであればいいんだよな。

 

 勝手な判断こそ 傲慢さかもしれない。

 

 

色んなことを

思っていました。

 

 

思うだけなので

自由です。

 

 

 

だけども

そんなコースを選んでいる人は

 

 必ず 乗り越える力を持っている方

 

 どの人も 素晴しい方

 

なので

 

心配なんて不要です。

 

 

 

わたしが

思いもよらない急展開で

 

乗り越えていかれるんですね。

 

すごいです。

 

 

もう 凄い人しかいないのかな。(笑)

 

 

 

 

頭で

 

 可哀想な人

 

考えてしまって

 

その人に、と思って動くと

たいていは うまくいきません(笑)

 

 

本当に

助けを必要をしている人に出会った時

 

 とっさに 手が出てしまった

 

という感覚があります。

 

 

もうそれは

理屈が通用しない世界。

 

 

だからあえて

 

 考える時間を与えてくれる方

 

には

すぐに 何かを

させていただかないこと。が 多いです。

 

 

その人はまだ

 

こちらに

考えさせてくれる余裕があるのと 

 

同時に

 

じぶんで 乗り越えていく力が

十分に在るんだと 思います。

 

 

 

 

宇宙から

助けが必要な場合は

 

必ず

助けが入ります。

 

 

とっさにだろうが

 

なんだろうが(笑)

 

周囲の人が

理屈もなしに 説明もつかないけど、と

 

いって

助けてくれることがあります。

 

 

 

 

少し前に

夫が働いている施設で

 

 とっさに 助けるものだろう?

 

 この状態だよ。

 

ということがあった

話を 聴きました。

 

 

もしも そこにいたなら

 

 危ない!

 

というよりも先に

 

身体が勝手に

とっさに 動いてしまうものだ。

 

というような 状況でした。

 

 

 

それに

動かないスタッフがいた。という話だったんですね。

 

 

 

それを聴いていて

 

おそらく、ですけど

 

そうして

助けを必要をしてくれる存在は

 

意図も何もしていませんが

 

神様から

強く護られている存在です。

(あえて 強い、と書きました)

 

 

必ず

必要な助けが 入ります。

 

それが

その時は 夫だけで充分だっただけなんです。

 

 

夫は

その先を読める人なので

 

 もしも、俺がいなかったら・・・

 

案じて心配で、と話していました。

 

 

そうなんです。

 

だからこそ

現実で

できるだけの 対応策を打つ、んですが・・・

 

 

それは

夫が やれるだけのことをやるチャンス、なんです。

 

もちろん

その周囲の方も。

 

 

やれるだけのことが やれなかった、と

思う場合もあるんです。

 

あります。

 

 

でも・・

 

宇宙はいつも完全で

 

完璧です。

 

慈愛に溢れています。

 

人間的には

理解できない 慈愛。

 

 

人間には

むごい。とその時は 思ってしまう慈愛。

 

それに溢れています。

 

 

あとになれば、

 

それは

最善だったと 人間も気づきます。

 

 

宇宙は

いつも 最善なんです。

 

 

じぶんたちの魂の設定は

完璧なんです。

 

起こることは 起ります。

 

何を学んでもいいし

学べなくても

それも 設定なんです。

 

 

 

 

わたしも

少し前までは

スピリチュアル的な知識もないので

 

乗り越えられないことは

何度でも 起こる。

 

お試しが起こる。

 

という

認識でした。

 

 

 

それは

こっち側の 観点で

 

起こることは決まっていて

 

その時に

起こるんです。

 

 

お試し、でも

 

何度でも

繰り返し 乗り越えるまで起こる、というのも

 

人間の解釈です。

 

 

 

 

だからね。

 

気楽にいこうと

わたしは

思います。

 

 

もちろん

やれるだけの 最善は

尽くしているんです。

 

 

それだけです。

 

 

 

 

誰も目覚めていない人もいないし

魂のレベルもありません。

 

 

ないんです。

 

 

レベルの高低はない。ですね。

 

能力の高低がない。というように。

 

 

区別はあります。

 

違いも あります。

 

 

全部 違うだけで合って

それに

優劣はない、好みで

人間が

あれは 素晴しい、というだけです。(笑)

 

 

それだけ。

 

 

宇宙て

シンプル。

 

 

 

人間の好みに

カスタマイズしていく

 

表現を していくのも

 

自由。

 

 

 

 

 

好みは

千差万別。

 

いろんなものが

溢れている世界って

 

ありがたいです。

 

 

だけど

溢れていても

 

好きを見つけられない、のなら

 

作っちゃえばいいです。

 

 

 

 

 

中学だったか

心に響く英単語が

いくつかあります。

 

 

ここ数か月

ずーっと 響いてます。

 

好きな響き。

 

 take

it easy!

 

 

楽に行こうぜ。

 

 

 

 

そろそろ

人生半分きました(笑)

 

 

半分 以上来たかもな~(笑)

 

 

もう

楽に行こうって

 

ずっと 響いてます。

 

 

好きな服をきて。

 

好きなものを食べて。

 

 

好きな人と。

 

 

好きな事をしていよう。

 

 

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。

 

 

 

*サインからの気づき ~じぶんの聖域の話~*

 

 

 

昨夜、

以前書いたサインが示していた場所がなんなのか

 

なにを

伝えてくれているのかの

 

ひとつが

 

かな~り

明るみに出てくれました。(笑)

 

 

この記事かな?

totorise.hatenablog.com

(違う下書きのやつかもしれませんw)

 

 

 

家でもどこでも

そうなんですが

 

 

 じぶんの居場所がない

 

感じるようなこと。

 

 

これは

存在感がなくなるんじゃなくて

 

じぶんが落ち着ける場所

 

ここは絶対

落ち着ける。という場所。

 

 

じぶんだけの場所=聖域

 

 

これについての

気づきでした。

 

 

 

 

ここで

思い出した記憶

 

 

わたしは

幼少期、

部屋を持ったことがありませんでした。

 

 

高学年で

両親のもとに 戻りましたが

 

どこにいても

 

 借りている場所

 

ばかりでした。

 

 

 

プライバシーが まったくない。(笑)

 

そんな家で育ていると

そういうこと、あるかもしれません。

 

 

 

 

 

所有しない。できない。ということについても

 

大きく

かかわっていました~。

 

 

 

 

先日、パソコンを

貸している、というか

 

使っていいよ。と

言いました。

 

 

これが

貸してみて 気づいたんですが(笑)

 

パソコンの前に

家にいる間は ずーっといる人(夫)です。

 

 

それは 全然いいんですが

譲ってきて 気づいたことがあります。

 

 

この

パソコンの前の場所に

 

 

わたしは

じぶんの使うもの・居心地のいいもの・

必要なものを

すべて カスタマイズしてたんです。(笑)

 

 

家の中で

なんとか

落ち着ける場所、がここだったんです。

 

 

 

最初、

それで そこにあるものを 使うたびに

 

取らせてもらって

別の場所にいました。

 

 

そこで

なんだか 感じている違和感。

 

なんだろうな、と

考えてみました。

 

 

 

 

同時に

車も貸している、と書きました。

 

 

車は

使いたい、といえば

使えます。

 

 

だけど 使いたい理由までは

ないので

通勤とか 自由に使ってもらっています。

 

 

それは

全然いい。

 

 

そして

気づきました。

 

 

 

 

車の中、というのは

 

かなり一人になれて

リラックスできる場所だった。

 

ということに(笑)

 

 

 

車の運転中って

アイディアが浮かぶことが多いです。

 

これまで

わからなかったことが

 

ふっと

わかることも 多いんです。

 

 

 

 

瞑想状態っていうか

 

宇宙と繋がっている状態は

じぶんが 落ち着いてリラックスしている状態。

 

だというのを

昨日、ある動画でたまたま 観た時。

 

 

 あ!

 

 

じぶんのパソコンの前。

 

じぶんの車。

 

 

ひとりになれる時間。

 

 

これが

なくなっていっている。

 

 

気づきました。

 

 

 

 

お風呂も

子どもが 必ず一緒です。(笑)

 

トイレも

子どもや 夫は

 

ひとりになろうと思って(笑)

長く入っていると

 

何度も心配して

様子を見に来たり

 

子どもが起きている間は

ひとりの時間とかは 皆無ですよね。

 

 

さらに

夫の方が

夜更かし。

 

 

このパソコンの前に

お布団を敷いて寝るので

 

ここに座っている時

 

落ち着いて 眠れない事態が発生(笑)

 

 

 

 

それで

人生 どこを振り返ってみても

 

子ども時代から

 

 ここだけは 安全な じぶんだけの場所

 

 

というのを

もたなかったな。

 

気づきました。

 

 

 

じぶんの部屋で 一人暮らし、でも

 

大家さんが

いつでも 来るような部屋だったり(笑)

 

なんだか

プライバシーは

ギリギリ護られている程度。でした。

 

家族と同居しても

いつも そうでした。

 

 

いつでも

じぶん以外の エネルギーに接していました(笑)

 

もしくは

 

いつなんどきでも

じぶん以外が 共有したり

 

勝手に拝借してたり(笑)

 

そういう

境界線が 引かれていなかった。

 

ことを

思い出しました。

 

 

 

 

車の運転が

嫌いでもなく

 

特別 好きではないですが

 

若い頃は

長距離の運転の先にある 現場が大好きでした。

 

 

 

今も同じように

やればいいんですが

 

いかんせん

この ナイスタイミングで

 

骨折もあり

腰痛もあり

 

20分 車に乗っていると

痛みが発生しすぎるので

いまは 遠い場所にも

滅多に 行きません(笑)

 

 

 

 

 

精神的に

追い詰められている、だとか

 

追い込まれている、とか

 

全然

そういう状況でもなく

 

落ち着いて考えてたら

 

 

 あ~~~

 

 

聖域が ポイント。かな。

 

 

気づけました。

 

 

 

 

 

最初は

なにかものがある場所(パソコンとか じぶんの使うものとか)

 

それがある場所に

落ち着くのではなく

 

 

内側に

そういう場所を 感じていく作業なのかな。

 

思って

色々 やってました。(イメージ的なワーク的なやつw)

 

 

 

いや、だけど

これは そうなのかもしれないけど

 

結構 大変な作業だな。

 

思いました。

 

 

 

このイメージをやるような

落ち着く場所がない、という

ことに

気づいた時に

 

 

 あ~。

 

 

思いました。

 

 

 

 

最終的には

内側に 整うんです。

 

内側を

整えているんですね。

 

 

 

だけど

内側を 整えるために

 

目にみえる現実を

整えていくほうが

やりやすい場合が あります。

 

 

 

身体の痛みが出れば

 

リラックスのため

 

内側の癒しや ヒーリングだけではなく

 

部屋にアロマを焚いたり

 

マッサージや

ヨガをするように

 

両方やったほうがいい場合って

あるのかもしれません。

 

 

 

どちらか一方だけだと

やっぱり

バランスが悪くなるときが あるように思うんです。

 

わからんけどww

 

 

 

それで、

イメージ的には

 

 落ち着く場所を 知る。

 

 もしくは つくる。

 

という

ことを

 

わかりながら

 

 

 

現在、自宅の部屋の中に

その場所も 

そうして 過ごす自由時間も

 

ほとんどない。

 

ということで

 

 

 さぁ。どうしようかな~

 

 

思っていました。

 

 

 

 

思って居た時に

 

また

動画から

 

 気づくだけで 癒されている時代なので

 

 気づくとそれで おKなんです。

 

という

音声が

聴こえてきました。

 

 

 

 

子どもの頃から

ずーっと

じぶんだけの 場所を持っていなかった。という

インナーチャイルドとも言います)に

 

気づけたので

 

だいじょうぶだ!ということに

しました。(笑)

 

 

 

 

 

 

すぐにできる対策として

 

どこでも持ち歩ける

ふわふわ毛布を

抱くことにしました。(笑)

 

 

だけど

ふわふわが 気持ち良すぎて

 

子どもがいると

勝手に どこかに 持っていかれるので

 

いずれは

なにはなくとも

 

じぶんの聖域。を

感じ取れて

リラックス出来たらいいな、と

のんびり 思っています。

 

 

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朝陽が

一段と

美しい季節になってきました。

 

 

 

 

今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

*最近のサインと テーマ*

 

 

 

 

以前から

色んな方(鑑定も含む方々)に

 

霊力が強い

 

特殊能力が優れている

 

言われていましたが

 

わたしには

さっぱりそんなものは、

わかりません。

 

 

 

いまでも

それを 意識したからと言って

 

わたし自身は

変わらず(褒められてるので嬉しくは思います///)

 

すでに 能力が講師レベル、と

言われたこともありつつも

 

チャネルも

できない、ままです(笑)

 

 

 

 

流行りの

宇宙語も

意味のない言葉をあえて並べる。ということは

わかりますが

 

さっぱり 話せないし 聴けません(笑)

 

 

わたしはもう

宇宙語は

できなくても いいんですけど

 

これから先は

宇宙語を話す人、というのは

まだまだ 増えると思いまーす。

 

 

 

面白いですよね、宇宙語。

 

何言ってるのか

わからないのが いいという方もおりましたw

 

 

 

 

 

それで。

 

ぼんやり~としているときに

 

 

 なぜ そっちの能力

 何も持たないで 生まれる設定にしたんだろう

 

 

考えて(じぶんに問いかけて)みました。

 

 

 

理由は

夢でとか 教えてくれたら嬉しいです!

 

言うと

 

そのまま

寝るまでもなく

答えはわかりました。(笑)

 

 

 

 

ここで

特殊能力を持ったまま

 

憶えているまま(もしくは子ども時代から使える)人

 

というのも

同時に 考えていました。

 

 

超シンプルですが

そういう方は

それを使って お役に立つ、とか

そういうお役目があるんだな、と

わかりました。

 

 

 

 

 

その逆だ!

 

わたしってば

子どもの頃から 何も不思議な事もない。(笑)

 

変わった能力

とくに 霊力っぽいのもなんて

一切ない。

 

 

あえて

わたしの

そこ(能力?才能?資質?を)

言うなら

 

ずーっと

直感だけで 決めて

生きてきたくらいでした。

 

↑ そして

人間としては

大失敗を繰り返しました(笑)

 

 

 

これも すでに

魂の設定だと

理解してるので

それはそれを 受け取ってやっていた。だけなので

いいんだと してます。

 

 

 

で。

能力をなぜ ぜんぶ忘れてきたのか。

(以前、あなたは素晴しいことも全部忘れて生まれた方ですねと言われたのもあり)

 

すっからかんまで

忘れてきたのは なぜなのか(ちょっとくらい憶えてたかったかもw)

 

ということですが

 

そのシンプルな答えは

 

 いまの人生のお役目(というか お役目もないんですけど)で

 必要ない。から

 

でした。(笑)

 

 

 

資質としては

備わっている。

 

 

この先は

どうなるでしょうね。わかりませーん。

 

 

 

 

いまは

(これまでも ずーっと)

 

じぶんの置かれた場所(これは魂が決めてきた場所)で

 

地点で

 

どう在るのか。を

経験しているそうです。はい。

 

 

 

 

能力的には

あっても なくても

いいんだったら

あったらいいじゃないか!(笑)と

 

思い、探求は続けてみますが

 

どうにも

 

 人として どうあるか。

 

というのも

踏まえて

 

でも

人として、じゃなく

 

やっぱり

 

 わたしは どうあるか。

 

というのだけ、だと

思います。

 

 

あえてくっつけて

 

 人として生まれて 生きて そこどこで どう在るか。

 

のみ!

 

 

宇宙ってシンプルだよね(涙)

 

 

なぜ泣いた・・・(笑)

 

 

 

 

 

 

 

そんな

昨年から始めた スピリチュアルの探求。

 

 

趣味なので

探求、と言えないかもしれませんw

 

 

 

 

スピリチュアルの感覚を

いかすのは

 

宇宙感覚を 思い出して生きるのは

 

最初

 

 自転車を 乗りこなすようなもの

 

 

 教えられてできるものじゃなく 感覚。

 

という言葉で

聴きました。

 

 

 

それで

 

 自転車に乗れる頃には 気づくんだろうか。

 

考えていたりしました。

 

 

 

そろそろ

年末なこともあって

 

今年の じぶんのこととか

 

いまのじぶんを

振り返ることも 増えました。

 

 

 

すると

今朝、一輪車、いらない?

 

すごく 印象的に

勧められました。

 

 

 

 うえのメッセージか。。

 

 

 

この時の 会話で

 

超 自然で

不自然に(笑)

 

 

 いまね

 自転車さえ乗れないんです。

 

 それで

 一輪車に 乗れるでしょうか?

 

 

という言葉を

話す 流れになって

 

 

 ぎゃあああああ!

 

なりました(笑)

 

 

 

 一輪車は 最初に少し つかまれば

 すぐに 乗れるよ!

 

言われてしまいました。

 

 ぎゃああああ!

 

です(笑)

 

 

 

宇宙は

 

ここから 来年・・

 

一応の目安は2020年と 2025年ですが

 

それまでに

わたしを

どのように 連れて行ってくれるおつもりでしょうか(楽)

 

 

 

 

 

 

それまでには

感謝。

 

そこが

テーマになっているようです。

 

 

これに伴い

少し前から

 

 所有・執着は 一切ない

 

ということが

体感できるようなことが

 

続いています。

 

 

 

 

微動なので

これに 気づけてえらいわ!

 

じぶんを 褒めてみました。

 

 

ただ

もっと 大きな観点でいえば

また 違う気づきがあるので

 

いまのところは

 

 所有・執着は できない

 

 

 大切にすることで 感謝が湧く

 

 

というようなことが

浮かんでおります。

 

現実もそうなっております。

 

 

 

 

 

 

以前から

わたしの車を

 

夫が

ちょこちょこ~ほぼ毎日

仕事で使っていましたが

 

最初は

わたしに 都合を合わせてくれていました。

 

 

それは

いまでは

夫の都合で

わたしが 乗る、という感じになっています。

 

 

 

 

 

大昔に

同じような経験があって

(わたしの車を 彼氏が乗り続ける。みたいなw)

 

その時

その彼氏のことを 愛しぬいていたのですが

 

当時は数年間

自由に車が乗れないなんて おかしいじゃないか!とも

腹が立っていました。(笑)

 

 

 

別れた後

 

 

 別に車なんて 大したことじゃなかった。

 

 貸してあげればよかった。

 

後悔したのを 憶えていて

 

今では

 

夫が 仕事で使うくらい

いいのかな。と思っています。

(どうしても 必要な時は申し出ることもできますしねw)

 

 

 

何回か家に帰ってくるので

送迎すれば、自由に使えますしね。

 

 

数年前よりも

断然、自由になっているんです。

 

 

 

夫には

車を使うことに 申し訳なさが

非情にあるみたいで

 

逆にそれはそれで ありがたいけど 

あまりにも 気にしすぎなので

 

そこまで気にしなくて大丈夫だよ。と

毎日言うのが 大変です。(笑)

 

 

 

 

そうして

少し前に書いたように 思うんですが

 

画を描く 紙も

ペンも

 

子どもが勝手に

持ち出して 使います(笑)

 

 

 

 

 

使ってくれても

大事に使ってくれて

元の場所に返してくれるならいいんじゃないか。と

 

思うようになって

いまでは 仲良く画を描きます。

 

 

以前は

 

 道具を 誰かに使われる。(特に子どもとか雑でありえない!ww)

 

 

これも とっても嫌でした。

 

 

↑ こういったことで

わたしのもの、なんてない。

(悲観的じゃなく 楽観的になってきますw)

 

 

段々 わかってきました~。

 

 

 

所有を

どんどん はずされております(笑)

 

 

 

今朝、極めつけがきたか。

 

思ったのは

 

夫が1日中

くっついている 彼のパソコンが

 

 うんともすんとも 言わなくなったことです。

 

 

 

ついでにいえば

以前から

 

夫が

わたしのスマホ

使うのは

堂々と そうなっていっていたうえの

 

ラストは パソコンです。

 

 

スマホはいまでは

 

着信があれば

わたしより先に 気にしています。

 

というか

必要な時には

 

 貸して。

 

と言って使ってます。

 

 

ラインとかも

全部 みえます(笑)←彼は 興味がないので 見ないですけど。

 

 

 

 

パソコンって

触られるのが いやなもの。でした。

 

 バッグの中身、とかもいやでしょ?

というか

 

わたしは 数年前まで

こんな色んなこと

 

 じぶんのもの。

 

に対する 執着が強いのか

なんなのか

見られる、触られるのが とっても嫌でした。

 

 

 

それは いまでは

バッグも スマホ

パソコンも

 

見ます。普通に(笑)

 

 

 

 

 

プライベートを護るプライバシーってなんでしょうね。

 

 

ここ数年で

所有しているものに対する

そういうの・・

わからなくなってきましたww

 

 

 

 

数年前に

介護をしたときに

 

夫がわたしのパソコンでゲームをしていたので

 

徐々に パソコンを人が触ること(いまは夫のみですけど)

 

に関する執着も

 

はずされてきていて

平気なのです。

 

 

 

 

 

よかったです。

 

 

 

パソコンにある

ちょっと創作的なファイルとかは

 

見ないでほしいものがありますが(笑)

 

 

 

見られて困るものはないので

 

今朝は

とうとう パソコンを明け渡す。

(いえ、わたしの自由も意見も通るんですよw)

という

流れになってきて

 

そこに 一輪車。

 

 

 

 

 きたか、宇宙!

 

思ったのでした。(笑)

 

 

 

 

 

だけど本当に

 

車も

パソコンも

 

使えるだけで

ありがたいし

 

誰が使ってもいいんですよね。

 

 

ないならないで

困らないけど

大事に使う。ということだけで

いいんだと 思っています。

 

 

 

 

 

そこから

今年1年の大きなテーマの

 

大事にする=感謝する

 

ということに

繋がっているんだな、ということにも

 

気づくことができました。

 

 

 

 

 

 

もっと

大きなことでいえば

 

これだけは じぶんのもの、なんてありません。

 

命や身体も

じぶんだけのものじゃなく

借り物・預かりものです。

 

 

子どもだって

 

じぶんの子ども

 

なんだけど

大事な天からの 預かりもの。

 

 

 

わたしは 何一つ

所有はできません。

 

 

そこで

わたしたちに 何ができるかな、と

考えれば

 

大事にすることしか

できないんだな、とわかりました。

 

 

大事にするは

やり方は

みんな 違います。

 

 

だけど

大事にしてると

 

感謝が湧くのですね。

 

 

 

 

 

 

社会的には

所有ということで

色々 示されることがありますけど

 

社会の仕組みを

スムーズにするためのものが

多いです。

 

税金システムも

所有によって 所得によって決まる部分があります。

 

 

地球というか この国では

所有しているように 感じている。ものは

永久的に

所有することは できないものばかりです。

 

 

所有していると思う期間に

長短はありますが

宇宙には 時間はないので

 

すべては

一期一会なのかもしれません。

 

 

 

物とも

 

人とも

 

じぶんとも。

 

 

 

一期一会を

大切に

いまを 過ごせたら最高です。

 

 

 

※本日も 思うままの雑記になりました。

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

*表現に関する雑記*

 

 

 

いつものオリジナルの点描画(宇宙画)は

 

集中するとか

無心になるとか

 

そういう感じで

楽しい画です。

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そして

 

 何が出てくるのか

 どんな 完成をいつ迎えるのか。

 

さっぱり わからない(笑)のも

 

魅力です。

 

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今年の3月に

パステルで描く点描曼荼羅、を

習ってみたくて

 

初めての講習に

勇気を出して 申し込みました(笑)

 

 

 

そこで

いい講師の方や スタッフに出会えたのが

最高のご縁でした。

 

もちろん、画との再会も

素晴しいことでした。

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 自由なのがいいんですよ。

 

 上手下手なんて ないんです。

 

 

 好きなように 描いてください。

 

という言葉に感動しまくりました。

 

 

 

その後、

その講習の 復習をしようとしたら

どんどん パステル点描曼荼羅とは

ぜんぜん 違う画になってしまいましたので

 

オリジナル画として 描くことにしました。

 

 

 

スタッフさんも

 

 

 これは 習ってた画とは 全然違うよね(笑)

 

太鼓判を押してくれたので

 

なんだか じぶんの画でいいんだ。

 

と思うようになり

それ以降は 好きなように描く。というのを

やり続けています。

 

 

自学と 他力(宇宙)とか

自然とか

あらゆる力を借りながら

 

画を描くことは

楽しいです。

 

 

 

 

だけど 一時期は

販売に 思考が傾いて

 

 うまく描けないといけない。

 

とまたまた

捉われてきました。

 

 

じぶんで勝手にかけた

プレッシャーが

 

画を描けなくしていました。

 

 

 

 

なんでもそうなんですよね。

 

そういう癖、がある。

 

じぶんで枠を作って

壁を作ってしまう。

 

 

それは

一件、

防波堤のようであり

 

まったくじぶんを 護れるものでもなく

追い込んでくるような

 

単に

障害になっていくものだと

気づきました。

 

 

 

 

 

画が描けない時

 

 いたずら書き

 

やります。

 

 

気楽に

何ら プレッシャーがかからないとき

 

描きたくなる画。

 

 

それが

本当は描きたい絵かもしれない。

 

 

だけど

もっと もっと

本当は

 

 どの画も

 

 描きたい絵だから 描くんだな~

 

気づいたのでした。

 

 

 

 

黒い紙の曼荼羅や点描画は

ある意味

 

じぶんでも 気づかないような

 

隠れた部分を 

表現していくんだと

感じています。

 

 

 

 

それとは逆に

いたずら描きは

 

 好きなように 描きたいものを描く。

 

 間違えてもいいから 描く。

 

という方法でやります。

 

 

 

出来上がった画は

 

とっても家族には好評です(笑)

 

 

 

 

点描画よりも

評価や反応がいいのは

こっちです(笑)

 

 

イメージも モチーフも

わかりやすいので

 

目につくのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

以前から

そんな いたずら画では

 

同じような

魂とか 宇宙人とか

 

そんなイメージで

画を描いていました。

 

 

見てくださる方

 

誰もが

 

 天使でしょ!

 

いうので

 

 

 あー天使かもしれないなぁ

 

って

あとから 思いました。(笑)

 

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たぶん、

 

表に出てくるの、というか

出すのって

 

こちらの方の画なんです。

 

 

こういう画も好きで

たまらなく 描きたくなる時がある。

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※色付け前の状態です。

 

 

 

 

 

 

 

ここから・・

 

話が逸れて

ミスチルと愛する秦くんの話になります。

 

 

 

アーティストの曲も

大ヒットする曲は

 

明るくなれる歌

前向きになれる歌

 

勇気をくれる歌

 

そんなものが

多い気がします。

 

 

 

 

 

年代的に

ミスチル世代なんですが

 

わたしは

ミスチルの超有名な曲しか知らない程度の

人間です(笑)

 

 

でも

若い頃に 一緒にカラオケに3日続けていった人がいて(なぜ(笑))

 

その人が

 

 ミスチルはあまり知られてないけど

 この曲が最高なんだよ。

 

歌い続けていた曲がありました。

 

 

 ボレロ

 

いう曲でした。

 

www.youtube.com

 

この曲の

陰 極まりない深さ

盛り上がりが一切ない 深さにはまりました(笑)

 

 

 

ミスチルは知らないまま

この曲を 聴きまくりました。

 

有名なヒット曲は

知っていますw

 

 

 

 

 

この方は

わたしに この曲を印象付けるために

出会ったのかもしれない、というほど

 

他の思い出が

ほとんどありません(笑)

 

だから

なぜ 3日カラオケに同行したのかも 憶えてませんww

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは

秦くんが 大好きで

彼を知ったのは デビューから3年後2009年でした。

 

 

 

あらゆる曲を網羅し

愛しぬいているんですが(うるさいww)

 

その頃から

秦くんは

どちらかといえば 陰の曲。(笑)

 

 

lilyは 名曲だ!

 

今でも震えます。

 

www.youtube.com

 

 

実物は

とてもピュアな方なのだと

実物もライブも 何度も拝見して

感じました。

 

(あくまで個人の感想です。(笑))

 

 

 

シンプルで自然に 

飾り気なんて 必要なしに

過ごしている感が半端ないです(笑)

 

 

じぶんや家族を大事にして

生きているんだと 勝手な想像をしています。

 

 

そんな全国区になる前から

わたしが

秦くん!秦くん!と 言い続けていたけれど

 

周囲の人にはまだまだ

知られていませんでした。

 

 

 

 

彼が有名になったのは

ドラえもんの主題歌の

 

 ひまわりの約束

 

だと

記憶しています。

 

 

 

 

 

あの時

わたしと同年代以上の

年齢を重ねたファンたちは

可愛いマナ息子のような 秦くん(幻影w)を

 

勝手に心配したのです。

 

 

 秦くんが 全国のテレビに出る日がくるなんて(嬉)!

 

という気持ちと

 

勝手に

 

 大丈夫だろうか。

 

 彼はのんびりしているから 忙しくなって心配(笑)

 

いらぬ 勝手な想像を

また 膨らませて

ファンの方々と 

勝手な親心で 盛り上がったものでした。

 

 

 

 

それましたw

 

 

 

それで

秦くんが ひまわりで

全国区になってから

 

その後の曲で

わたしが 大好きなのが

自画像です。

www.youtube.com

 

この曲を

わたしが

 

カラオケで歌っていたら

 

ひまわりの約束

ようやく 秦くんを知った

 

友人が

 

 

 え?! あの秦くんの歌なの?!

 

 秦くんが この曲を作ったの?!

 

 なんか、かっこいー イメージとは違うけど。

 

言ってました。

 

 

その言葉が

響いて

とても よく覚えています。

 

 

 

 

 

 

心が温まる曲、作品を

作れる人は

とことん 陰にも向き合って

陰も

歪さも

すべて 美しいものに感じさせてくれる。

 

 

 

 

そんなことを

ボレロや 自画像から

 

思うのでした。

 

 

 

 

 

秦くんに関して

超勝手に 述べてみるなら

 

彼は

陰の作品と

陽の作品と

どちらにもある まっすぐさと素直さ。

凄い!すごい!と 感激ばかりしています。

 

 

それを

彼の繊細で素直な 表現(さらにファルセットと倍音)で聴いたら

最高なんだ!と

心で叫んでしまうほど 変なファンです(笑)

 

 

 

 

 

 

 

画の話に戻ります。

 

 

専門学校では

デッサンやイラストも勉強しました。

 

わたしは

2年目に退学したので

最終的には 卒業していませんが

 

専門学校には

画の上手な人

 

才能がある人は

腐るほどいました。

 

 

 

 

確かに画は

うまい・下手ではないんだと

思います。

 

才能がある・ないは

 

観た人が

感じるものかもしれません。

 

 

専門学校には

これから育つ 才能だらけでした。

 

 

壁に 作品が

貼りだされると

 

目をひくものは

一瞬で 決まります。

 

 

なんとなく

目に留まるものは

数日あれば

決まってきます。

 

 

 

わたしの画は

 

わたしにしか

見つけられない画でした。

 

 

じぶんが描いたから。という画は

 

それしか

見つける方法がありませんでした。

 

 

 

壁から外され

手元に帰ってきた画を

 

祖母に見せると

 

いつも

 

 凄い。

 

褒めてくれました。

 

 

 

それは

あの壁一面に並んだことを

祖母は

知らないからかもしれないし

 

祖母には

本当に 凄かったのか、わかりません。

 

 

 

 

 

あの頃(18歳の頃)に

 

わたしの

道は

画じゃない。

 

思いました。

 

 

多くの作品に

埋もれてしまう画しか 描けない。と

 

素直に

思いました。

 

 

 

どの画を描いても

いつも

壁の中で 埋もれていました。

 

 

ある時

 

 拾ってきた石をデッサンする

 

という授業がありました。

 

 

鉛筆だけで

色を影も光も

石の質も

すべて 描きだしていく。という課題でした。

 

 

わたしは

真っ黒に見える石を 描きました。

 

 

 

デッサンが

飛びぬけて 上手な人が

クラスに数人いました。

 

 

その画も

同じように そんな全員の中に

埋もれていました。

 

 

ただ

その 石の画だけは

じぶんでもちょっと

うまくできた、と 自画自賛していました(笑)

 

 

 

その時に

声をかけてくれた人がいました。

 

センスが良すぎて

カッコいい友達です(笑)

 

 

それまでは

全然 話すこともなかったけれど

 

彼は

 

 この石!すごいよな!

 

それまで 仲良しだったように

気さくに 話しかけてくれました。

 

 

 

 

わたしが

退学した後に

 

彼が酔っ払って

 

この石を描いたやつが すごいやつだと思ってたんだ。と

言ってくれたときには

 

涙が出そうでした。

 

 

さらには

 

彼は

わたしにしか 見つけられない

わたしの画を

ぜんぶ、事細かに憶えてくれていて

 

すべての総評を

伝えてくれました。

 

 

 

この時の私も

 

 だけど 天才的なデッサンを描く人の方が すごかった。

 

だとか

 

 

 だけど

 天才的な表現力のある人が すごかった。

 

というようなことを言うと

 

 

酔っ払って

いつも 強いけど

さらに 強気になってた彼は

 

わたしの画が

素晴しいんだ。凄いんだ。と

 

一晩、力説してくれていました。

 

 

 もう描かないのか。

 

 

 残念だな。

 

 

最期に

寂しそうに 言ったのを

憶えています。

 

 

 

 

あれから20数年が経って

専門学校の卒業生も

それぞれ デザインや画とは

まったく 別の場所に 暮らしています。

 

 

みんな

それぞれの 場所で

 

輝いて

しあわせなのだと 思います。

 

 

 

 

画には

 

音も

言葉もありません。

 

 

 

だから

画が 好きかどうかは

 

描く人と

見てくれた人の

 

周波数が合うかどうかかもしれない。

 

なんて

思いました。

 

 

 

 

わたしの画を

いつも 見つけることができた

 

わたしは

 

じぶんの周波数を

知っていたのかもしれません(笑)

 

 

 

そしてそれって

 

誰でも

できること。

 

 

素晴しい、能力だと思います。

 

 

 

 

 

わたしが画を描くのに

 

もしも

必要な事があるとすれば

 

それは

 

 わたしが描かせてもらえる歓び

 

 

 わたしが 表現させてもらえる歓び

 

 

ということだけなのだと

思います。

 

 

 

やっぱりそこには

うまいも下手も

天才もいないのかもしれません。

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

*学ぶって 楽しいこと*

 

 

 

前回、今年

一昨年を振り返ってみて

記事を書きました。

 

あまりに自虐史観がひどかったのですが

いまは 笑える教訓の話になってきています。(笑)

totorise.hatenablog.com

 

 

過去の不幸自慢をしたいわけではないので

時々、過去のことを書こうとして手が止まります。

 

 

不幸自慢になっていないか、という

傲慢さを 手放したいと

思っていました(笑)

 

 

だけど

思えば もうそこに 悲壮感を感じていないじぶんがいるなら

 

 じゃんじゃん書いちゃえばいいかもしれない。

 

思えるようになりました。

 

 

成長です。

 

 

 

 

 

少し前になりますが

子どもの 学校行事に参加しました。

 

 

毎回、思うのですが

 

子どもの学年・クラスは

まだまだ キラキラと輝いて学んでいます。

 

 

わたしの中に

いつのまにか 上書きされた「学校」と「学び」の

イメージは

 

とても 疲れていて

すさんでいる(笑)様子の記憶ばかりでしたが

 

 

本来は

あの子どもたちのように

 

わたしたちも

学校は楽しいもので

 

 学びって 楽しい!

 

 知らないって ワクワク!

 

って

心境だったんじゃないか。と

 

毎回、思い出しながらの

発見があります。

 

 

 

 

そんな中、

(ここから 突然おかしな話になりますw)

 

先日は

授業風景を眺めていたら

 

古い光景が 浮かび上がりました。(脳内)

 

そこには

ランニングシャツや 着もの・古びたシャツや

上品な洋服

 

様々な子どもたちが

先生の方を 一斉に向いていました。

 

また

小さな子どももいました。

 

 

おそらく・・・昭和の最初かもう少し前か。

 

学校は楽しい。

という光景が なんだか浮かび上がったのでした。

 

 

 

その帰り道に

 

子どもの学校の歴史を

思い出しました。

 

 

そういえば、現在は創立100周年に近かった。と。

 

 

想像の中の

脳内イメージなので

 

幼い頃から 祖母が話してくれていた尋常小学校とか

 

だれかの昔話や

テレビで観たことのある様な風景が

浮かんだだけかもしれません。

 

 

だけど

創立からの つきひを思うと

 

なんだか あの学校で学んだご先祖様たちが

 

 そうだよ!学ぶって 本当は楽しいんだよ。

 

 

 わしらは みーんな学校が 大好きだったよ。

 

教えてくれたような 気がして

 

嬉しく

思わず その光景とそのメッセージに

微笑んで 帰宅したのでした。(怪しいですが・・)

 

 

 

あの小さい子どもは

家は みんな畑とかの仕事に出るので

 

一緒に学校に連れてきた兄弟という感じがしました。

 

 

その子供が泣くと

先生も 子どもたちも一緒にあやしたり

 

また

授業中に おしめを変えたりしたんだよ。

いうイメージでした。

 

 

祖母はそういう話をしなかったので

やはり テレビかなにかの 古い記憶かもしれないし

 

あの学校のご先祖様からの ギフトかもしれません。

 

 

答えは

わからないけど

 

わからなくていいと 思っています。

 

 

 

 

 

 

わたしはつい

 

 修行って 辛い

 

というイメージがあったり

 

 学び

 

って

楽しくない イメージを持っていたりしていました。

 

 

 

 

だけど

この日以来、

 

本当は

 

子どもたちのように

 

 知らないってワクワク。

 

っていう

どこかの キャッチコピーのような

気持ちだったのかもしれない。

 

思えてきました。

 

 

 

 

 それ知らなかった!

 

 教えてもらっていいですか?

 

というとき

 

恥ずかしいことなんかなくて

 

本当は

ワクワクするんじゃないか。

 

 

なんて

思えたのでした。

 

 

 

 

 

 

面白いことに

この 学校で光景が 浮かび上がってから

 

叔母や 両親の記憶が

わたしが 聴いて育ったものとは

 

真逆になっていました。(笑)

 

 

 

そんなの

思い違い。で済む話ですが

 

わたしには

衝撃でした。

 

 

 

叔母は 何度も何度も

 

 あなたは 寝る直前まで おしゃべりがうるさかった。

 

言っていたので

 

それを信じて

育っていました。

 

 

わたしって

すごく おしゃべりで うるさいんだ。と(笑)

 

 

 

先日、叔母に

 

 わたしは 寝る直前まで 話していたんでしょ?

 

 うちの 子どもも同じなのでね。

 

という話をしたら

 

 

叔母がとても 不思議な顔をして

 

 え?

 

 あなたは とても静かな子だったよ。

 

 間違いないよ。

 

 あなたは いつも静かすぎる子だった。

 

話していました。

 

 

 

祖母に育ててもらったので

叔母が 同居していました。

 

 

両親よりも 叔母の方が

わたしの 幼い頃を知っていて

 

両親は

 

 どっちだったのかな~(笑)

 

笑っていました。

 

 

 

 あなたを うるさいと思ったことはないわよ。

 

 

 あなたは 静かにひとりで 遊んでいる子だったし

 手がかかった 憶えがないのよ。

 

 

言いました。

 

 

 

これまで聴いていた話と

真逆だったので

 

 これも パラレルワールドなのだろうか。。

 

思ったのでした(笑)

 

 

 

 

 

実際は

パラレルワールドというよりは

 

叔母や両親たちも

 

観点が変わり

同じ事実でも

昔とは

まったく別の捉え方を しているのかもしれません。

 

 

 

学びは楽しい。

 

修行と言われる 人生は楽しい。

 

生きるって楽しい。

 

 

 

生きる過程で

概念を刷り込んで 

事実を捻じ曲げてしまったけれど

 

 

本来は

そうなのかもしれません。

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

*置かれた場所で 咲こうとして咲けなかった話*

 

 

 

週末は

外にお出かけできたことが多く

嬉しく思います。

 

 

 

まだ少し早いですが

今年1年の中で

去年1年を 振り返ることが何度もあって

 

そこで気づいていたことを

遺そうと 思います。

 

 

ややこしいですが

いま、

去年の話を 振り返って 気づいたことを書きます(笑)

 

 

 

一昨年の年末(12月)に

社会復帰を 決めました。

 

 

 

そんなに すぐに

仕事が見つかるわけでもなく。。と思っていたら

 

仕事を選ばない。という信念のもとで

すぐに 仕事は見つかりました。

 

 

ごみを再利用する職場でした。

 

なので

衛生的にも

人によっては

抵抗が出るところもあります。

(わたしは案外、ここは平気でした)

 

 

 体力的にもきつくて

人が入ってはすぐに 辞めていく職場でした。

 

同時期に入った人が

3人いたけど 全部 即日やめちゃいました。

 

 

 

汚いこと(衛生的に)は

我慢できたのですが

 

 

 

ここで

ある日、足に電化製品を落としてしまって

親指の爪が割れる怪我をしました。

 

 

この時までにも

 

 もう無理。

 

 もう行きたくない。

 

散々、言いながらも

 

お金のため、生活の為、と

熱を出してでも 出勤していました。

 

 

 

 

 

でもある日

どうしても 熱が下がり切れずに

 

 休みます。

 

という

電話をするときに

 

 

 辞めます。

 

言ってしまいました。

 

 

 

 

言いたかったんです。

 

 

もうやめます。と。(笑)

 

 

 

いろんな想いがありました。

 

ぜんぶ、エゴでも。

 

 

 

 

 

ぎりぎりこれで

年末年始を越せるだろう、という給料を稼ぐまで我慢して(笑)

 

それでも行けるところまで行こう、と

無理をしていたら

熱が下がらず 運転ができないだろう、と判断して

 

 辞めます。

 

言ってしまいました。

 

 

 

年齢、家の事情、

色んなことで

資格もない 大した職歴もない

 

しかも病気で長年のブランク。

 

 

 

次の仕事も

決まるかどうか わかりませんでしたし

 

仕事があるほうが

奇跡的な状況でした。

 

 

 

 

 

次の仕事が決まったのは

1か月後の 2月でした。

 

 

 

 

これまた

おかしなことが 続きました。

 

 

 

 

ここは 派遣登録してすぐ 決まった

派遣先でした。

 

 

派遣先の初日。

 

派遣会社の担当者が

大幅に遅刻してきました。

 

 

 え。ありえない・・(担当者さんの態度も びっくりな感じでしたw)

 

思った。

 

 

思ったので

 

ここで

 

 ここじゃない。

 

気づけばよかったです。

 

 

 

 ここじゃないから!

 

 

ってサインに。(笑)

 

 

 

 

 

 

まったく

スピリチュアル的なことも知らない時期です。

 

 

生活費を稼がないといけない。

 

働かないといけない。

 

~しなくちゃいけない。

 

 

わたしが しなくちゃ、に

捉われている時期でした。

 

 

 

 

 派遣会社の 担当者さんは

とてもいい感じの人でした。

 

でも 初日には

大幅に遅刻(笑)

 

 

なんとか 派遣先へ

紹介をしてくれた後、

 

派遣先の

担当者が わたしに

仕事を教える時間がないので

 

派遣の募集部署ではない 仕事をしてください。

 

言われました。

 

 

 

 

1週間、募集内容ではない仕事を続けました。

 

合間に

少しだけ、本来の募集要項であった

事務の仕事を 教わりました。

 

 

その翌日から

担当者が 欠勤しました。

 

 

派遣先の社長から

担当者の仕事を やってほしい。と

言われました。

 

 

 まったく 教わってない状態です。

 

答えました。

 

 

 

その後、

 

 事務として使えない。

 

社長と もう一人の事務員さんに

直接、言い渡されました。

 

 

 

 

使えない、というか・・・

教わってないんですけど。。。ですが

 

確かに、少しの間に教えてもらった事しか

理解できず

 

それが 何の作業かもわからずw

 

 

 

 

通常は 数日間、1日の流れを教えてから

業務を 教えていく。。という教え方に慣れてきたのが

いけなかったのかもしれません。

 

 

広すぎる倉庫で

事務作業ではない 作業ばっかり教えてもらい(笑)

 

この場所は

ぜんぶ 違う階や 部署で

 

事務の

1日の流れは

まったく わかりませんでした。

(作業部署も 数か所をやったので、1つの流れをつかめませんでした)

 

 

こんな感じで

 

流れも 何も

わからなかったので

わたしの 能力不足です。

 

 

 

担当者が 欠勤、

派遣先の担当さんに 連絡して相談しました。

 

 

 

この日、

そういえば 心が折れてしまって

 

この後

子どもの体調不良を理由に 早退しました。

 

 

帰りの車で

情けなくて 涙が出てきました。

 

 

 なんでこんなことやってるんだろう。

 

 

これが本音です。

 

 

だけど

それでも、働かなくちゃいけなかったんです。

 

 

 

 

あまりに心が折れたので

 

事務としては

使えないな、と言われたので

派遣会社の担当者さんに相談しました。

 

 

 

 そんなの話がおかしいです。

 

 会社の社長に 問い合わせますので お待ちください。

 

 

 わたしが きちんとお話しますから 待っていてください!

 

 

言われてから

 

連絡が途絶えまして

 

 

 

 

 わたしは ダメなんだな

 

 ここでは 働けないんだな。

 

 

ようやく、

わかりました。

 

 

 

 

 

その後、出勤した

派遣先の担当者さんも とても良い人でした。

 

 

 

連絡をくれて

 

 もしよかったら、直雇用で 今度は事務を 教えるので来てくれませんか?

 

言ってくれたのですが・・・

 

 

 

いやいやいや。

 

それは 当時、困りました。

 

生活費のために、と働いています。

 

 

 

直雇用だと

時給だけで 数百円下がります。

 

 

思ってしまって

お断りしました。

 

 

 

 

相談した友だちも

この時は

 

 そんな会社の言い分、おかしいから 辞めなさいよ。

 

言ってくれたのも

励まされました。

 

 

 

当時から

まったく じぶんには

自信がなく 相談してよかった、と思いました。

 

 

 

 さらには モチベも消え失せ

 

仕事を覚える自信も

その時には まったくなくなっていました(笑)

 

 

 

 

 

 

2つめの 会社を辞めても

まだ

 

気づきませんでした。

 

 

それでまたパートで

再就職しました。

 

 

 

このあたりでもう

完全に 心も感覚も

無意識的に マヒさせています。

 

 

そうでもしないと

働けない、と思ってました。

 

 

 

 

 

3つめの 会社でも

同じように

仕事を教えてもらうときに トラブルがあったり

 

おかしいだろ。(笑)

思うことが 頻発しました。

 

 

 

 

1つめの会社の怪我が

ひどくなって

歩くの辛いな~と 思ってたんですが

 

働かなくては。と

行き続けました。

 

 

無理しているせいか

宇宙のお知らせなのか

 

肺炎でもないのに

肺炎のような症状だね。と言われるようになって

 

病院にかかって

通院点滴をしながら、通勤しました。

 

 

 

 

この病院は

入院設備がなかったのですが

 

先生が 検査で

異常なほどの数値が出てるので

欠勤してください。と言って

書類を書いてくれたので、2日だけ 休みました。

 

 

 

2日後から

仕事に行き、次の週に もう一度

 

 肺炎みたいな感じになってます。

 

という

診断を受けました。

 

 

※熱が高いので

通院を続けていました。

 

 

 

 ある日、

久しぶりに 友達に写メを送る流れになって

(自撮りの髪型か服を見せてほしい!と 言われたのだと記憶してます)

 

自撮りなんかは しないんですが

いやいや 送りました(笑)

 

すると

その友達が

 

 おかしなくらい 痩せてる!

 

言ってくれたことで

 

はじめて

年始から 10数キロ痩せていることに

気づきました。(遅いw)

 

 

 

そこから

また それまでは一人で通院してたのが

 

肺炎を診てもらっているお医者さんに

 

 激やせを 話すような流れ

 

になって

 

そこから

大きな検査をする流れで

腫瘍が 見つかります。

 

 

 

 

 

この時期には

他にも 不調がいっぱいあって

 

整形外科、脳外科で

精密検査を終えて 異常がなく

 

身体のどこを調べても

異常がないのに

激やせしていく。という

おかしなことが 起こっていました。

 

 

 

 

 

仕事に行き

休みには 検査。検査で

ようやく 見落としていた部分の腫瘍が見つかった時には

 

先生(医者さん)も

 

 よかった!

 

言ったんです。思わず(笑)

 

腫瘍は良くないけど

原因がわかれば

やみくもな検査も治療もいらなくなるよ!

 

集中して治せるよ!という意味で

 

 よかった!

 

涙ぐんでくださいました。

 

 

 

 

 

先生は

原因不明を特定するまでは、検査を続けましょう。と

 

 僕も納得したいんです!

 

正直に言ってくれていました。

 

なので

 

ようやくたどり着いた 原因かもしれない腫瘍発見、

 

安心されたのだと思います(笑)

 

 

 

 

 お医者さんにも

わたしにとっても

 

原因不明で

どうしても 痩せる原因が見つからない状態が

あまりにも 過酷でした。

 

 

 

 

 

そして

それでも うまくいかない3つめの職場、

まだ

辞めていませんでした。

 

 

書類がある日だけ 休もう。

 

それ以外は 行かなくちゃ。

 

思い込んでいました。

 

 

 

 

この腫瘍の場所が

肺炎もどきからお世話になり続けた

内科ではなく 婦人科だったので、

内科の先生にお世話になるのは、ここまでになりました。

 

 

 

 

婦人科では

深刻な事態になっていって

 

緊急、緊急で検査や診察が

続きました。

 

 

 

 

先生は

若い頃から お世話になっていた先生で

名医でした。

 

(※ただ、この腫瘍までの10数年間は 引っ越し等もありご無沙汰状態でした)

 

 

 

ずっと 忙しくて

大流行りの病院。

 

真夜中まで 診察しているような先生で

わたしも 夜遅くや早朝に

何度も 診察に伺いました。

 

 

 

ある時に

 

今後の見通し。を

話しました。

 

 

良性にしても

大きさ的に

切除になるかもしれない。

 

切除になったら

最低 〇カ月は 仕事は無理かな~

 

いう話を聴きました。

 

 

 

先生は

どの状態の想定も

断定はしませんでした。

 

しませんでしたが

 

これまでの雰囲気とか

流れとかで

 

 やばいかもしれないんだな。

 

勝手に 思いました。

 

 

ある場所には

血液が溜まりすぎていて

それを抜くだけでも

仕事を数日休んでから・・のような話になっていました。

 

 

 

 

 

それで、

ある日

 

ずーっと辞めたかった仕事を

 

 もう、やめよう。

 

思ったんです。

 

 

 

 

どうせ入院。

 

どうせ その先だって

わからない。

 

 

 

 

どうなったっていいけど

心残りがあるとすれば

無理して 我慢して

この仕事をしてることだから 辞めて 休もう!って。(笑)

 

 

それで

引き留めてくださったんですが

心を固めて 退職しました。

 

 

 

 

 

すっきりしました~。

 

 

その後

検査に行くと

 

 え。考えられないけど 切除もしなくていけるかも!

 

いう結果になり

内視鏡手術(10分程度で終了)し

 

溜まっていた

血液は勝手に 吸収されたようで

消えていました。

 

 

不思議でした。

 

 

 

なのに!

 

この後また

元気になったので、

 

就活して

再就職したんです。

 

 

本当にバカなんだと思います(笑)

 

 

 

 

だけど

すごく いい方向に考えようとして

出したポジティブな答えは

 

 生活のために 必死だった。

 

です。

 

 

じぶんのために、は

なくなっても。

 

 

生活の為に、と

必死で 生きたのだと 思いたいです。

 

 

 

 

 

働かないと

 

生活していかないと。

 

病気じゃなかったんだから

働かないと。

 

と。

 

思い込んでいました。

 

 

 

 

 

この時期に

面接の段階から

おかしなことが 数件ありました。

 

大きな会社の面接担当が 約束の日にいない。だとか

連絡がこない、なんて ザラでした。

 

 

だから

行くべきじゃなかったんだってば!(笑)

 

ですが

その当時は

また 気づきません。

 

 

 

 

 

 

それで ある大手企業の求人に

運よくなぜか 受かりました。

 

 

 

新部署の設立、ということで

 

わたしの年代(30代後半から50代)を募集して

新規で採用。

 

さらに 頑張る方には正規雇用、という

素晴しい条件でした。

 

 

 

希望の勤務地ではないけど

もう一つ別の勤務地でよければ、ということで

受けさせていただいて採用になりました。

 

 

この部署が

忙しすぎて 新しい書類作成の人員を募集する、という感じでした。

 

 

 

 

 

それが(笑)

 

初日から

 

 忙しすぎて 教える時間がないので 座っていてください。

 

 とりあえず 数日 座って流れを覚えてください。

 

言われたまま・・・1週間 経ちました。

 

 

ここは

いろんな部署に 分かれていて

 

他の部署の人が忙しくても

基本的には 手伝えない。状態でした。

 

 

 

 

わたしの横にいた 女性は

違う部署でしたが

あまりにも 時間を持て余すでしょう、と言ってくれて

 

小さな仕事の手伝いを

少し分けてくれました。

 

 

 だけど

手伝いすぎると 気を悪くされていました。

 

 

この女性も

難しい立場でした。

 

じぶんたちの部署を教えるわけにもいかないし

 

かといって

ずっと隣で 手持ち無沙汰なのも

お気の毒だ、と 仰っていました。

 

 

 

 

 

 

 

昔から よくある話を

思い出しました。

 

仕事がない。与えられないなら

じぶんから できることを探して させていただく。

 

 

若い頃、

そんなことを やっていたことを

思い出して

 

掃除をすることにしました。

 

 

 

 

最初は、責任者が

 

 掃除で 来てもらってるわけじゃないから やめてほしい。

 

というので

 

それもやめました。

 

 

 

 

だけど

座っているだけ。という苦行だと思っていると

 

責任者の方も

 

 他の従業員でやるはずですが

 忙しすぎて 誰も

 掃除まで手が回らないので 

  

 申し訳ないのですが

 掃除してくれますか?

 

 

 

 お手すきならば、掃除してくれていいですよ。

 

 

 

と言われるようになりました。

 

 

これを繰り返していると

 

 掃除は あの人(わたし)に頼みましょう。

 

流れが 代わっていきました。

 

 

 

 

 

掃除してもいいですよ。もおかしい(笑)

 

そもそも

仕事を何一つ 教えてもらっていない。(笑)

 

 

 

 

 

 

ですが・・・

 

その後、

洗濯とか 掃除とか

花のお世話だとか

 

壊れているものの修理だとか(笑)

 

見つけては

何かやりました。

 

 

花のお世話もやりすぎて

責任者に 怒られました。

 

他の従業員さんや お客様には

喜んでもらえましたが

責任者が NGだったために

花は全部 処分されてしまいました。

 

 

 

こんな風に

できることを 探して

やれるだけ 一生懸命にやって

 

 させていただいて、ありがとうございます!

 

笑顔で

続けることにしました。

 

 

 

 

 

大変、人間関係がよくて

 

その前に いじめられていたことを思えば

天国のような人間関係でしたが(笑)

 

 

 

それでも

本来の書類作成の

仕事を 教えてもらえる日は

来ませんでした。

 

 

 

最初の数か月は

 

 明日は、忙しくないだろうから

 教えてもらえるかもしれない!

 

期待してました。

 

 

それが

ない、ないと

わかってからは

 

諦めてきました。

 

 

 

 

手放して 諦めればいい。とも

違うような気がします。

 

 

諦めたら

そのまま 教えてもらうこともありませんでした。

 

 

 

すべては

わたしの 心の持ち方、かもしれないですが

 

これ以降

わたしは

 

 置かれた場所で 咲きなさい。

 

素晴しい考えだけど

 

それだけでは

ダメな場合もある。

 

 

適材適所がある。

 

ということを

学びました。

 

 

 

 

 

すべては わたしの心の持ち方ですが・・

 

わたしの場合は

 

置かれた場所で咲けなかったことで

さらに

じぶんが ダメなんだを

重ねてしまっていました。

 

 

 

 

 

 

出来ることを

探していく、という中で

 

 お客様をお見送りする人に

 ついていかせてもらって、お見送りをする。

 

というのを

自分から していました。

 

 

 

 

 

これは

じぶんの担当部署だけ、最初

ヒマな時は してください。と言われたのでしたんですが・・・

 

それだけでは、と思い

 

じぶんから

すべての部署のお客様に対して

お見送りをしていくことにしました。

 

 

これが

その後・・・お見送りだけではなく

交通誘導をする 羽目になりまして

 

怪我をして動けなくなった 

 

退職までずっと

この交通誘導をしました。

 

 

 

与えられた仕事です。

 

 

与えられた仕事を

褒められるまでやる。というのを

 

やってみたら

 

これが 担当のようになってしまいました。

 

 

 

 

だけど

これが 唯一与えられた仕事だったので

 

当時は

これを 必死でやりました。

 

 

 

 

交通誘導(ガードマンさんと同じです)を

 

真夏の暑い日も

やり続けていました。

 

 

 

そのうちに

他の従業員ができるときでも

 

 交代してあげてください。

 

言われるようになりました。

 

 

誘導専属のように

なっていきました。

 

 

 

 

 

これまで

お客様を担当する従業員が

やっていましたが

 

 

次の仕事で忙しいので

 

わたしから

 

 やりましょうか。

 

と言ったのが

いけなかったのかも・・・と

 

じぶんを

責めまくりました。

 

 

 

 

 

 最終的には

書類作成を 教えてもらうこともなく

 

勇気を出して

申し出てみても・・・忙しいのですみません。と言われ

 

 

 わたしの仕事=ガードマン

 

みたいになりました(笑)

 

 

 

 

それならば、と

いつか 教えてもらえる日まで、と

諦めて

 

 

ガードマンを必死でやりました。

 

 

 

 

心の中では

 

 この仕事じゃないけど。

 

という想いはあります。

 

 

ありますが

やる、しか 選択肢を持っていませんでした。

 

 

 

 

 

ありがたいことに

お客様が 大変喜んでくださって

お店に お礼をわざわざ 伝えてくださる場合もありました。

 

 

 誘導の方が 素晴しかった。

 

言ってくれたりしました。

 

 

これが本社に伝わって

 

社長が何度か

 

 素晴しい!

 

 

 本当にいい人が来てくれた!

 

 

わざわざ 褒めにきてくださることもありました。

 

 

 

社長は何度か 事業所にやってきては

 

社員全員の前で

褒めてくださったり

 

 

社長の付き添いでいらした役員さんにも

わたしのことを

 

 素晴しい人が来てくれた!

 

 素晴しい誘導をされている!

 

 

大絶賛してくださることに・・・。

 

 

 

光栄です、と

泣きそうでした。(苦笑)

 

 

 

 

 

いや・・・いやいやいや。。。

 

 

違うんだ。(笑)

 

 

 

 交通誘導で 入ったんじゃないんだ!

 

 

 掃除しに来てるんじゃないんだ!

 

 

 それ以外は 座っててください。のままなんだよ!

 

 

です。

 

 

 

そうして

ある日、この仕事にも もう行きたくない。。。という気持ちを

無視して

出勤したら

 

出勤後

すぐに 階段から落ちて 骨折しました。

 

 

 

 

 

ここでようやく(笑)

 

 もう、やめよう。

 

 外に働きに行かずとも 生きられる。

 

気づきました。

 

 

 

ただ、

痛みが引いていき・・

動いてもいい、と許可が出たら 出勤するのか?と

 

最初の2か月は

すぐ 辞められませんでした。

 

 

 

 

でも3か月目

 

骨折部分の 詳しい検査を

MRIで 診ることになって

さらに 奥の仙骨が数本 骨折していて

安静を言い渡されて ようやく。ようやく

気づきました。

 

 

 ああ。

 

 もういいんだ。

 

 

 辞めていいんだ。

 

って。

 

 

 

 

 

ずっと

じぶんを 置き去りにしすぎていた。

 

ことに

気づいたんです。

 

 

 

 

気づくまでに

 

怪我も病気も

激やせも 腫瘍もあったのに

わからなくて

 

動けなくなってから

 

 辞めよう。

 

思うまで

1年、かかりました。(笑)

 

 

 

そこから

1年の間に

 

スピリチュアルのことを

学びました。

 

 

 

知識とか

 

内観(静観)や浄化、

色んなことを知りながら

体感したり

経験を眺めていました。

 

 

 

 

 

宇宙のメッセージ、サインのことを

思うと

 

この1年の会社で起こったことは

 

おかしなことばかりで

どう考えても サインとしか思えない。

 

ようになりました。(笑)

 

 

 

 

 

与えられた場所で

与えられたことを やっていく。

 

 

今もそれをやってます。

 

 

大事なんです。

 

 

会社で

仕事がないなら

じぶんで 探して仕事をしなさい。も

 

基本的に

 

状況によっては 

それでいいし

間違ってない。

 

 

 

 

 

 

だけど

わたしの場合は 違う。と 思った。(笑)

 

 

 

どこの職場でもまず

募集していた仕事を やりたいのに

 

なぜか 教えてもらえない状況があって

 

基本的な仕事を教えてもらっていないので

やることがなかった。

 

んです(笑)

 

 

 

 やっぱり みんな

全員が 全然違う正しさがあるんだ!

 

気づいたんです。

 

 

 

 

最初は

これをしても ダメだったわたし。

 

でした。

 

 

 

 

置かれた場所でも

咲けなかったわたし。です。

 

 

掃除もしてみた。

しかも 喜んでしていた。(笑)

 

 

 

 

いろんな雑用も

全部 楽しくもっていった。

 

 

 けど、ダメだったわたし。

 

 

です。

 

 

 

 

与えられた仕事で

お客様、上司

会社の方にも 感謝してもらえても

 

褒められ 称賛されても

 

 

 ダメだった、わたし。

 

 

です。

 

 

 

 

 

 

この1年も

怪我が少し マシになった日には

 

 働かなければ。

 

捉われました。

 

 

 

 

 

だんだん、それが

エゴなんだ、と気づいて

 

夏以降くらいからは

どんどん 気楽になってきました。

 

 

 

 

いまでもまだ

そんな 義務感には 捉われます。

 

 

 

 働かなければ、と。

 

 

 

 

それはそれでいいんですが

 

 

働こう。

 

仕事にしようと

 

思うときに

感じる 違和感は何だろうか。というのを

 

ずーっと眺めていました。

 

 

 

出てくる痛みは

どこからだろう。と

 

眺めていました。

 

 

 

 

 

 

 

また

 

 これで 辞められる。

 

 これで 休める。

 

というとき

 

 

 

必ずそれは

怪我や病気をしたとき

 

やむを得ない事情の時であることにも

 

気づいていました。

 

 

 

 

 

逆に考えてみると

 

そうでもしないと

休めないじぶん。だったんですよね。

 

 

 

 

 

本当にそうなんだろうか。

 

 

 

って

思いました。

 

 

 

 

 

 

 

社会不適合者だな~と

昔から 思っていて

克服しようと 思ってダメでした。(笑)

 

 

 

出来ないことが多いです。

 

 

出来ないことが多いので

頑張りすぎてしまいます。

 

 

 

わたしは

そうだから

もう

それでいいし

 

それで

生きていくしかない。

 

 

 

 

それはそれでOKで

 

いいんだけど・・

 

 

だれかの

何でもないことを

ひとつ やるためには

 

とんでもない努力が必要なじぶん(笑)

 

 

 

 

 

普通のことさえ

頑張りすぎているのに

 

壊れないと休めないって

異常な事態じゃないか?

 

って

気づいたんです。

 

 

 

 

 

 

誰も気づかないことで

当たり前のことに

 

ものすごく努力が 隠れています。

 

 

 

 

 

 

たとえば玄関のドアを出て

 

 おはようございます。

 

近所の人に

笑顔で挨拶するまでには

 

何年も努力しました。(笑)

 

 

 

 

 

やりたくないなら、やらなくていい。もやりましたが

わたしは

普通に挨拶したかったので

努力しました~。

 

家を出た時からこれで(笑)

 

 

 

 

普通に(あえて普通という言葉を言ってます)

1日を 過ごすためには

 

並大抵以上の エネルギーを消費している!

 

ということに

この1年で 気づきました(笑)

 

 

 

 

子どもの頃から

 

普通を気にしすぎて

 

努力してやれるようになって

忘れていましたが

毎日が、すごく 大変でした。(笑)

 

 

 

 

わたしが

 

普通じゃない、ことには

気づいています。

 

 

 

 

だけど

 

社会に出た時には

 

わたしが

普通じゃないことに

甘えていいよ。

 

当たり前なんだよ。じゃない。。(わたしの考えですけどw)

 

 

 

 

甘えさせてくれて当たり前じゃないけど

出来ないことも 当たり前じゃないけど

 

そんなこともあります。すみません

 

って

なりながら 生きてます。(笑)

 

 

 

 

 

 

ある時に

お子さんを小児がんで なくされた方の

記事を読みました。

 

 

 

その方のところへ

 

 命を粗末にする人(自死をさしていたそうです)が 許せませんよね!?

 

いうご意見があったそうです。

 

 

だけど

その方は

 

考えたそうです。

 

 

 自死は 命を粗末にした結果なのだろうか。

 

と。

 

 

 

 

 この方の言葉に

救われました。

そして

わたしも 大事な事に気づくことができました。

 

 

この方は

あくまで ご自身のご意見で

仰っていました。

 

 

わたしの子どもは

ガンと言う病気で

 

目にみえる痛みや苦しさに耐えて

その限界を迎えて 死があった。と。

 

 

自死の方は

 

目にみえない部分が

もう耐えられないほど 限界を超えたのかもしれない。と。

 

 

身体のように

目には見えないけれど

 

どちらが どう、ということはなく

 

どちらも

限界を超えられた。というだけ。だと。

 

 

 

どちらの命も尊い

 

どちらの死も 尊い

 

 

命を粗末にしてる人なんて いない。

 

 

だれかから

そうみえたとしても そうじゃない。

 

 

すべてが 尊い

 

 

 

そんな言葉で

書き綴られていました。

 

 

 

 

 

この言葉を

読んだときに

 

 

 ハッと

 

しました。

 

 

わたしがずっと

言いたかった言葉、

 

言っていた言葉を

 

思い出しました。

 

 

 目にみえるものも 目に視えないものも

 

 同じなんだ。

 

と。

 

 

 

 

 

わたしは 怪我をする場所も

骨が折れてもギプスができない場所ばかりでした。

 

病気になる場所も

精神的な事で

 

実際に目にみえない、伝えきれない痛みや苦しみの場所ばかりでした。

 

 

だからこそ

 

じぶんが一番大事にしたかった場所だ。と。

 

 

じぶんが

気づいてあげたら

それだけで

よかったのだと ハッとしました。

 

 

 

 

 この方の

言葉を 読んでから

 

じぶんの 働けない。とか

弱っている部分(まったく見えない部分)に意識を向けたら

 

 瀕死

 

でした。

 

 

よく、生きててくれた。

 

気づけなくてごめんね。

 

よくこれで

呼吸をしてくれたね。

 

涙ぐんでしまうほどに。

 

 

 

 

これが

目にみえる部分だったら、と

上に じぶんに

聞いてみました。

 

 

生温かい血を流し続けて

傷ついても尚

 

 べき!

 

というナイフで

刺し続けていたのは

 

わたしの

こころでした。

 

 

 

瀕死なんです。

 

 

瀕死の時

 

 掃除しなくちゃ!

 

なんて

よく 言えたな。と

思います。

 

 

 もういいから。

 

 回復まで 寝てればいいよ。

 

 

 寝よう。寝よう。

 

 ご飯なんていいから。

 

 作らなくていいから。

 

 

 

そんな場合じゃねーな!

 

でした(笑)

 

 

 

 

それは みえない部分が

ここまで 瀕死の重傷を負っているんだから

 

生きるのが

辛いはずだ。と 気づきました。

 

 

 

働くより前に

 

生きること。

 

どう生きるか。なんてものは

どうでもいいので

 

 

 どうすれば 気楽に 楽しく 生きていけるか。

 

 

です(笑)

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去年の最後の仕事を辞めた時に

 

 時間をかけて じぶんをやり直そう

 

決めました。

 

 

 

ようやく1年がかりで

 

瀕死で頑張っていたじぶんに

気づきました。

 

 

 

 

 

ここが

瀕死だからと 甘えることができないんですけど

 

甘えなくてもどっちでもいいから

 

温かく

生まれたてのひよこの ように

見守り育もうと 思いました(笑)

 

 

 

 

 

 一生かかって

 

じぶんを大切にしていこう。

 

 

 

本来のじぶんで 生きよう。

 

 

って

決めた 1年でした。

 

 

 

 

 

 

 

そういえば。

 

十代の最後に 仕事にいっていた日曜日。

 

飼っていたインコが

急に飛び立って 部屋の壁に衝突しました。

 

 

あまりにも驚きましたが

 

激突して瀕死の重症。

 

獣医さんが

 

 インコは献血ができないので 見守るしかないです。

 

言ったので

 

保温をして

栄養をスポイトで与える看病をしました。

 

 

まさに 虫の息になってしまい

次の日は 会社がありました。

 

 

 

今では考えられませんが

どうしても 放っておけずに

 

プラケースに入れて

会社に持って行って 上司に引き出しに入れて保温したい。と

申し出ました(笑)

 

あの上司も

神様のような上司で

 

よくぞ こんな子どもの様なことを

色々と 最後まで温かく育ててくださったな、と

感謝しかありません。

 

 

あの日も

嫌な顔せず 驚いた様子で

 

 いいよ

 

あっさり承諾してくれて

 

時々

 

 インコは大丈夫か。

 

聞いてくれていました(笑)

 

 

 

保温とただ見守ること。で

 

インコは

驚異的に回復しました。

 

 

そこから元気になりすぎて

そこから10年以上 生きていたと思います。

 

 

 

 

瀕死のときに

大事なのは

 

 ただ温めて 見守ること。

 

 

 大事に大事に 無理をさせずに 見守ること。

 

 

でした。

 

 

 

いま、あのインコの様な状態の

わたしの こころ。

 

 

 

これからは

どこへも 一緒にいて

 

焦らず

大事に 育んでいこうと 思うのでした。

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。