dot. すべての点は輝石になる

宇宙・魂・光。表現者が好きな事を好きなだけ×ブログ♪

*初めてのセッションでの 違和感*

 

 

スピ系のセミナー・セッションというものを

これまで 受けたことがない。

 

 

なので

スピリチュアルの

先生もいないし メンターもいない(笑)

 

 

人生のメンターは

すべての ご縁かもしれない。

 

 

思いながら やってきた。

 

 

 

そんな 滅多に

 

セミナー・セッションに

行きたいな~と 思わないわたしでも

 

今年に入って

 

何度か

 

 この人のお話は伺ってみたい。

 

 場の空気を 感じてみたい。と

 

思う 大勢の前でその方が話す場には

 

参加したことは、ある。

 

 

 

 

でも

 

個人セッション、と銘打っているものは

 

先月、

初めて 申し込み、お願したのだった。

 

 

そのことを

書こうと思う。

 

 

 

 

今 この業界(?)ビジネスも

結構 盛んなので

 

じぶんで

じっくりと 眺めていて

 

時期が来たように思えたので

ある方の セッションに申し込んだ。

 

 

 

 

電話での

通話セッションを選んだ。

 

遠方なので、ビデオセッションを、と言われたけれど

カメラが出せないエラーが出たので

通話で。とお願いしたのだった。

 

約2時間コース

 

 

 

受けたかった

 

目的は

 

 

 

わたしが

どこと 繋がっているのか、いないのか、とか

 

何の画を描いているのかだとか

 

どこに向かっているのかの

 

答え合わせをしたかったのと

 

 

 

なにかそういう

タイミングだったから。という感じだった。

 

 

 

 

 

 

セッションの予定を決める

文章のやりとりでは

何の違和感もなかった。

 

ここで違和感があれば

気づくか

セッションが叶わないだろう、と思っていた。

 

 

違和感はなかったのだけど

 

なにか

妙なうしろめたさ。を感じた。

 

 

 

 

その日を

予定通り迎え

 

わたしは

家族がいない時間帯を 指定した。

 

 

 

 

 

当日

いきなりその時間前に

 

 予定が変更になった。

 

家族(パートナー)が帰宅。

 

 

 

これで 不可能になればそこまでだけど、

一応

セッションを優先して

 

いつもの部屋から移動して

 

隣の部屋で

通話をすることにした。

 

 

 

 

結果

2時間以上 あちらが話続け

3時間ちょい、という時間で 切り上げてもらった。

 

 

そんなに

嫌な感じがしなかったけれど

 

 

最後に

相手の言葉に

 

 ザリッ

 

という

砂を噛んだような 確実な【違和感】があった。

 

 

 

違和感は

気づきの お知らせなのだ。

 

 

 さて。

 

 

この違和感は

一体わたしに

何を知らせているのだろうか。と

 

眺めることにした。

 

 

 

 

 

 

その日のセッションでは

メモを 取っていた。

 

大事な事を

沢山 話してくれたので

 

わたしはメモを 取り続けていた。

 

 

 

 

でも

その日以降

 

一切

そのメモを 見ようという気が起こらなかった。

 

 

 

 

 

大事な事は

その日、すでに落とし込んでいたのと

 

違和感の場所が

特定できないというのがあった。

 

 

 

 

それから

約 1か月が過ぎるころ

違和感の気づきを探していると 同時に

 

現実でも

色んなことがあった。

 

 

 

 

 

 

要は 言葉にすると

 

 嫌だ。

 

言えなかったのだった。

 

 

 

 

 

 

継続的な

セッションは 希望していない。

 

 

いや、

正確には

 

必要なら

じぶんのタイミングで

 

次をお願いしたい。

という

わがままがある。

 

 

宇宙には流れがある。

 

チャンスもタイミングもあることは

知っている。

 

 

 

だけど

何よりも

 

 じぶんのタイミング

 

があるのだと

言えなかったからなのか?

 

 

考えた。

 

 

 

 

その方が

強引に 次の日程を決めようとしたとき

 

 また 連絡します。

 

言った。

 

 

 

それは

家族の都合もあり

 

お金の都合もある。

 

 

 

通話や

実際にお会いするとなると

 

色々調整したい。

 

 

という話をした時に

 

それが

すべて 言い訳であることに気づいた。

 

 

 

 

大体は

これまでの

じぶんの行動、やり方を

考えてみたときに

 

 

すべては

 

そこに向かいたい

もしくは 向かうべき時には

 

 都合なんて あとから

 いくらでも つけられる

 

のと

 

 宇宙は完全に 後押しの流れになる

 

のに

 

 

わたしは

流れを感じることがないまま

 

この言い訳を 並べていたんだった(笑)

 

 

 

その前に

ザリッとした 違和感が

この後の

すべての 拒絶に繋がったのかもしれないし

 

そうでないのかもしれない。

 

 

 もともと

 拒絶が だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

この

大きな 確実な

 

違和感は

 

何を知らせてくれたのか。

 

 

 

 

 

 

このザリッとした元を

探しているうちに

 

わたしは

このセッションを決めるとき

 

 妙な 後ろめたさ

 

感じていた。

 

もう一度 思い出した。

 

 

 

 

 

 

言葉は曖昧(笑)

 

後ろめたさと

表現する 

 

何か

このセッションに対しての

不安なのか、何なのかを

感じていた。

 

 

 

 

右脳での 感覚を

左脳で 言語化するときには

 

なんか誤変換されてしまうことを

この時期

とっても 感じていた。

 

 

 

 

 うしろめたさ

 

だと

言葉にしてしまったものは

 

もっと

違うものだったんじゃないか。

 

考えた。

 

 

 

 

考えた、というより

 

その

うしろめたさが

どんな感じだったか。

 

感じ直してみることにした。

 

 

 

わからないなら

シンプルにすればいい。

 

 

そうしたら

わかった(笑)

 

 

 単に

 

 嫌だった

 

んだと思う。

 

 

 

 

 

何がどう、ではなくて

 

 嫌

 

だと

感じたのだと 気づいた。

 

 

 

 

 

子どもの頃から

 

 嫌だ。

 

素直に出してこなかった時があり

 

いい子を

やってしまう癖がある。

 

 

 

 

 

セッション内容で

答え合わせできたことはよかった。

 

よかったけれど

やりとりで 嫌。を感じたのだと

 

ようやく

気づいた。

 

 

 

 

 

この時に

現実に 起きてきたことを

照らし合わせてみると

 

 嫌だ。

 

言えないじぶんが

浮き彫りになっていた(笑)

 

 

 

 

とてもシンプルなのだ。

 

 

 

わたしは

とても 単純なのだ。

 

 

 

この方が

悪い方でもなく

 

むしろ 感じのいい方で

また

すごく素晴しい方でした。

 

だからこそ

 

何が嫌なのかは

説明できない。

 

 

でも

嫌だった。

 

 

 

それだけだった(笑)

 

 

 

面白いもので

普段は

二人いた 祖母の

 

片方ばかり

思い出すのだけど

 

 

この時期は

2回しか 会ったことのない

 

田舎の祖母の言葉を

何度も 思い出していた。

 

 

 お前は好かん。

 

 子どもらしくなかけん。

 

 

祖母は

小さなわたしに はっきりとそういった。

 

 

 

 欲しいものは 欲しいと言いなさい。

 

 嫌なものは 嫌と言いなさい。

 

 

 子どもは素直でいいんだよ。

 

 お前は素直でいいんだよ。

 

 

 

という

非常にわかりやすい

 

とても 愛のある言葉=お前は好かん。

 

だったのだけど

 

 

いい子にしなきゃ。

当たり前だと 思い込んで

育った 子どものわたしは

 

 いい子にしたのに 嫌われた。

 

 

とっても 傷つき(笑)

 

その後

この祖母には

二度と会いに行かなかった。

 

 

 

 

 

 

そんな言葉を

思い出していた時期

 

 

 嫌なものは 嫌でいい

 

という

 

シンプルさを

思い出した。

 

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さぁ

 

もっともっと

 

心地よく 行こう。

 

 

 

 

とても気づきのある

セッションだったと

 

これを書き終えて

改めて

感謝しています。