dot. すべての点は輝石になる

宇宙・魂・光。表現者が好きな事を好きなだけ×ブログ♪

*思いつくまま 今日のこと*

 

 

 

今日は

新嘗祭ですね。

 

 

 

 

去年まで

神社や仏閣のことも

さっぱりわからず

 

新嘗祭、というのも

恥ずかしながら

ほとんど 知りませんでした。

 

 

 

今年は

去年は 年間行事の知識も

さっぱりだったところから

 

新嘗祭は 旧暦の10月に行われている、という

ことだけ 

知ったので いつかは行ってみたいな~と

ぼんやり 思っていました。

 

 

 

 

当然

こんな へっぽこ知識なので

 

神楽のことも

ほとんど 無知の世界。

 

 

 

いまでも なんとなくしか

わからないですが

去年よりは

色んなことを 目にしたり

耳にしたり

 

気になれば 調べる。ことが増えたので

 

去年よりは、今年の方が

知っている。程度になりました(笑)

 

 

 

 

 

それで

今日は 新嘗祭なので

 

どこか県内の神社で 新嘗祭がやってないかな~。と

調べましたら

ちょうど、ちょうど!

 

よくお参りさせていただく神社で

新嘗祭があり

午後からは 神楽が観られるとのこと!

 

 

 なにこの 嬉しいやつ!

 

思いまして

 

午後から

出掛ける予定です。

 

 

 

 

 

 

 

昨日の午後。

 

魂の観点

 

生まれる前に設定していた、としたら

 

という観点で

過去の出来事を

眺めてみる。という作業について

書こうと思い 下書きしました。

 

 

 

下書きになるのは

たいてい タイミングじゃないから。で(笑)

 

更新するまでの間に

用事ができたり

ストップがかかったりするな~と

思っています。

 

 

 

昨日、書こうとしていた内容は

 

 すべては 愛

 

 すべては しあわせに向かっている

 

という

考えを軸にして

 

過去の経験や

出来事

 

印象に残っている言葉などを

 

思い出してみる。

 

 

それを眺めてみる。

 

ということをやると

 

 

誰もが 宇宙と繋がっているし

 

誰もが

必要な言葉を 伝えてくれているのが

わかるんだな~と 思った。

 

というような

内容でした。

 

 

 

 

この眺める作業は

 

楽しい宝探しの様なので

 

ふっと 思い出した言葉や

過去の場面があれば

 

それを眺めるようになりました。

 

 

 

先日から

 

 すべては いまここに 十分ある

 

という言葉の時に

 

それって

叶えるべきものもなく

 

達成するべきものなく

 

いまのままで

じぶんは 十分ってことなんだな。と

 

思った時に

 

 

ふと

意識に

じぶんの 

子どもの頃が

思い出されました。(←宇宙のサインだと 思いたいので思っていますw)

 

 

 

 

それは

わたしを育ててくれた

祖母や

厳しかった両親から

いつも 言われていたこと。

 

 

特に

父親は

厳しく 叱ったり

お説教というか 家族会議を開いていました。

 

 

 

 お前はなんで 上を目指さないんだ。

 

 

 お前はなんで 欲がないんだ。

 

 

 もっともっと 頑張ろうと

 なんで 思えないんだ。

 

 

言うような言葉を

延々と

繰り返していました。

 

 

 

祖母は

また 違う場面でしたが

 

 なんで 悔しいと思わないの?

 

 負けるな!情けない!

 

 しっかりしなさい!

 

叱咤激励してくれていました。

 

 

 

 

 

上を目指そうと思わない。

ということとか

 

負けても 気にしていないのが おかしい。

とか

 

こういう言葉を

延々と 言われていました。

 

 

 お前は おかしい。

 

 怠け者じゃないか。

 

言われ続けていました。

 

 

 

 

 

魂の観点からいえば

 

祖母も両親も

これを この時期に

わたしに 言う必要があったんです。

 

 

 

だって

なにかが

つじつまがあってなくて

 

おかしいんです。

 

 

 

今思えば(笑)

 

 

 

成績が良かったんです。

 

子どもの頃だけですけど。(中学生まで)

 

 

それは

勉強が好きだから。でした。

 

してれば

怒られない。遊べるから。というのも

ありましたが

基本的には 本を読むのが好きで

自然と勉強していました。

 

本を読むには

字を勉強したりする必要があったからです。

 

 

 

明らかに

成績がとても よかったんですが

 

それでも

 

 なんで 上を目指さないんだ!

 

叱られました。

 

 

 

 

両親の言い分は

 

 学校内で満足をするな。

 

 県内で 上位を目指さないのがおかしい。

 

とか

そんな 言葉でした。

 

 

それで

偶然 県内の実力テストで

ありえないほど 上位の順位を

1度だけ 取ったことがあります。

 

 

それでもまだ

起こっていました。

 

 

 1番じゃない。次は全国だ。

 

上には上がありました(笑)

 

 

 

 

 

これを

眺めていて

 

子どもの頃のことを

思い出しました。

 

 

いつも現状に 満足していた。

 

んです。

 

 

 

さらに 頑張らないとだめだ。

 

という

危機感がなかった。

 

 

成績がどんどん落ちていくにも

理由がありました。

 

勉強よりも

楽しいことを 見つけてしまったんです。

 

受験までは

必要科目を すべて終わっていたので

 

それ以外の科目をやっていた時間で

遊んでいると

順位なんて みるみる落ちました。

 

 

 

 

 

祖母は

とても 負けず嫌いの子ども時代だった、と

じぶんでも 話していました。

 

 

悔しさがあったから

強くなれた時代です。

 

 

また両親も

とても 努力家で

努力して 努力して

 

父の場合は

人生に挫折ばかりして

努力しても 結局人生は

思い通りになんてならない。

 

一流大学を出たって 

じぶんは ダメだった。

 

家の為に。と

生きたけど 結果はこうだ。(悪い結果)

というのが

口ぐせでした。

 

 

 

それなのに

 

 努力しろ!

 

 上を目指せ!と

 

言い続けていました。

 

 

ただここに

 

 お前は 俺と違って

 家のために、なんて ものがないんだから。

 

 

 勉強をして 努力をして 損はない。

 

 

言い続けました。

 

 

 

とりあえずは

 

 お前は周囲と 同じようにできない

 ダメなやつなんだ。というのを

 言い続けました。

 

 

 

 

 

うちの父は

少し変わった性格です。

 

 

いまもし

検査を受ければ なんらかの発達障害かもしれません。

 

とっても特徴があります。

 

 

 

周囲とうまくやれなかった

じぶんの苦労があって

 

それで

子どもには その苦労をさせたくない。という

想いがありました。

 

 

 

 

でも

 

人生で何度もわたしに

絶望して 諦めてきて

 

 

ここまでで

じぶんの人生も

これしかなかったんだから、これでよかったんだ。と

思えたようで

 

 

いまでは

とっても 温和で

 

 どんな人生が正解かなんて わからないから

 楽に行こう

 

 

 生きているんだから 楽しみなさい 楽しなさい

 

 

言います(笑)

 

 

 

 

 

 

こんな一連の流れを

少し シンプルに眺めていると

 

どうにも

わたしは 子どもの頃から

 

 いまのじぶんに 満足していた

 

気づきました。

 

 

 

もっと以前の

赤ちゃん時代の 同じ話ばかりを

祖母はしていました。

 

 

従妹が

わたしの おもちゃを

パッと取り上げてしまう。

 

 

赤ちゃんのわたしは

機嫌よく遊んでいたので

 

一瞬、おもちゃを取られて

びっくりする。

 

 

だけどまた

別のおもちゃを 手に取って

ニコニコ遊んでいた。

 

 

そしたらまた

従妹が そっちが楽しそうに見えるのか

わたしのおもちゃを 奪ってしまう。

 

 

何度も

取ってしまうので

 

祖母は 従妹を叱ろうかとすると

 

わたしは

ニコニコ遊んでいる。

 

 

それが

とても 不思議な光景だった。と

 

思い出しては

話していました。

 

 

 

祖母からすると

どちらも かわいい孫です。

 

従妹は気が強くて

(今では女神のように強くて美しいですw)

 

何も心配いらないけど

 

この子(わたし)は

悔しくないんだろうか。

 

悲しくないんだろうか。と

不思議だった。と

言いました。

 

 

 

 

おそらく。ですが

悔しくなかったんだと 思います(笑)

 

 

ないならないで

あるもので 楽しめばよかったんだと

思います。

 

 

 

だけど

あの時代で

 

子どもの頃から

そんなだったら

 

親は

 

 努力をしない

 

みなします。

 

 

 

当然 子どもへの期待もあるので

 

もっと頑張れば

もっともっと 上に行けるのに。と

望みます。

 

 

 現状に満足するな。

 

教える必要があったのですね。

 

 

 

 

 

 

 

2011年あたりから

地球の 波動が 軽くなっていくというか

上昇していく時代になった、と

よく言われます。

 

 

 

わたしは

この時も さっぱりスピリチュアルのこととは

無縁で

現実を生きていました。

 

 

その前年に

下の子が 産まれました。

 

 

魂の観点(設定)でいうと

 

下の子どもは

当然、この時期に決めてやってきました。

 

 

 

 

 

みんな すごくて

素晴しい人たちばかりなのですが

 

とりわけ

うちの 母は

誰からも

 

 すごい!

 

 素晴しい!

 

言われている人です。

 

 

 

なんか

家族では異色の(お嫁さんの立場なので 異色ですけどw)

 

友だちも多くて

豊かで 自由で

強い人です。

 

 

 

この母が

母でいてくれたことにも

ものすごいことだな~と

感謝でいっぱいなのですが

 

この母は

子どもが生まれるまでにも

 

遠くに住んでいたので

 

電話でしか話しませんでした

が。

 

 

昔から

霊感とか 視えない世界のことは

まったく縁がない人ですが

 

じぶんでも

 

 勘だけはいいの。

 

 運だけは いいの。

 

というような人で

 

この人が

下の子どもが 生まれた瞬間に

 

 

 人生で最高の日だわ!ありがとう!

 

電話で言ってくれたのが

 

とても印象的でした。

 

 

 

 

母も

潜在的には

 

この日を迎えることを知っていたけど

心配だったのかもしれません。

 

 

 

当然ですけど

両親だって

地球に暮らしていますから

 

この日、この年あたりから

 

両親の流れも

変わったんです。

 

 

 

母は

下の子どもの誕生が

大きな意味をもつこと。とか

 

知らせや導きであることを

知っていたんじゃないかな~なんて 思います。

 

 

明るい時代への

光の様な 子どもです。

 

 

 

 

 

過去の現実を

生きている時には

 

状況が複雑だったりします。

 

 

それで

本当はとても シンプルな事なのに

 

状況も一緒に 考えてしまうと

複雑のまま 残ります。

 

 

 

それで

 

 すべて愛なら

 

という観点で

 

その時

何の言葉を 繰り返していたか。

 

だとか

 

とっても印象に残ったことは何だったか。

 

だとか

 

浮かんでいた情景が 何か。

 

 

だけを

眺めていると

 

 

全然シンプルで

愛に溢れていたんだ、と

気づくことも

いっぱいです。

 

 

 

この宝探しは

どの過去の記憶でやっても

 

とても 面白くて

楽しくて

しあわせで

 

ライフワークになっています。

 

 

 

 

過去のネガティブだと

思えることには

 

必ず それ以上の

光(ポジティブ)とギフトが

溢れているので

 

のんびりと

こういうのを やってます。

 

 

 

やってもやらなくてもいいけど。

 

ときに

のんびりと。です(笑)

 

 

 

 

 

こうやって

どんどん 思い出すことで

 

たぶん

 

 いま 十分だ

 

いうのも

 

わかった気がします。

 

 

 

 なんで こうなりたいとかないの?

 

というのは

 

子どもの頃から

散々、言われていました。

 

 

 

それで

 

 そんな風に 思うのが普通なんだ・・・と

 

いつしか

思い込んで

 

いろんなものを

抱え込みすぎちゃいました。

 

 

 

 現状に満足するな。

 

 

という時代は終わりました。(笑)

 

 

 

 

 

 

ちなみに

子どもの頃には

 

努力しない。

とか

向上心がない。と

 

言われました。

 

 

それで

努力してなかったのか?と

思い出してみたら

 

努力と思わないので

苦労せずにささ~とやってたんだと 思います。

 

 

 

本を読みたいから

文字を 練習する。書けるようにもなる。とか

飽き足らず、新聞も読む、とか

 

画を描きたいから

描き方を 本で読んで 練習する。だとか

 

 

絵の具を混ぜて 混ぜ具合を研究するとか(笑)

 

 

読みたい本がなくなって

辞書ばかり読んでるときもある

相当変な子どもだったと 思います(笑)

 

 

 

 

大人からみると

 

遊んでいるだけだったんだと

思います(笑)

 

 

 

 

 

 

たぶん。

 

今はそれが

混濁していて

 

 いま すべて満ち足りている

 

思えないから

 

いろんなものに

目移りしていくんだと 思います。

 

 

 

外側に

求めてしまう。時期もあります。

 

 

 

外側には

なにもない。わけでもないから。

 

 

それは

その人には

とても 必要な事だったりもします。

 

 

 

必要な事だけど

答えじゃない。というだけかもしれない。

 

 

 

答えを探し出すと

答えがないと 不安。になったりしますが

 

 

 

どこにも

 

答えはないです。

 

 

 

答えなんてなかった。

 

 

 

目指すところもなかった。

 

 

 

いま 最高のじぶん。

 

 

 

いま 最高に満たされている。

 

 

 

 

限りなく拡がる愛に 包まれている。

 

 

 

 

という場所が

 

状況に関係なく

思い出されるとき。

 

 

そんな時が

誰にも 訪れる時代なのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

わたしが 経験を通じて

ライフワークを 通して

 

唯一はっきりしてるのは

 

それはどこにあるか知りたい。

 

思った時には

 

すでに

じぶんの中に それはある。ってことかもしれません。

 

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今日もすべてに感謝を。

 

 

ありがとう。